人気がある割には意外と資料も史跡も少ない前田慶次郎利益。
彼の鎧が展示されてる宮坂考古館には
前回行ったので(と言いながら今回も寄って来たんだけど)、慶次の住んでいたと言われている場所と供養塔のあるお寺に行ってきました。
天気は前日から降り続く生憎の雨模様。
まずは慶次が住んでいたとされる堂森の
無苦庵跡と
慶次清水へ。
地図を頼りに八幡原緑地野球場へ車を停め、遊歩道を歩いて点数ボードの裏へと向かいます。そこに堂森へ通じる道がある…ハズ……???

階段は…確かにあった。だがしかし、そこにあったのは高さ2mを越す葦の原っぱ。
現実逃避したくなるも、よく見れば誰かが通ったらしきケモノ道のような跡が薄っすらと…行けと?ここを行けと?
たっぷり30秒悩んで飛び込みましたorz
水滴でびしょ濡れになり、葉っぱで腕を切り傷だらけにしながらも原っぱを抜けて森に出れば、そこには原っぱよりはマシなケモノ道がありました。どうやら道は間違ってなかったらしいです。
歩くこと5分で突然視界が開け、どうやら目的地に到着。

と思ったらどうもこっちは違うらしい(^^;)

本当の慶次清水はこっちだそうです。
でも下の方で両方繋がってるんですけどね(笑)
梅雨の時季なので水量が豊富で水も澄み、青葉が生き生きと蔽い茂っています。とっても綺麗なんですが…蚊が……(泣)夏場の訪問はお薦めしません(T▽T)

二つの泉の間にひっそりと置かれた小さな御社。

全体の位置関係はこんな感じ。左が慶次清水で右が泉。前方奥の方に通ってきた道があります。
慶次は晩年、この堂森の清水の傍に無苦庵という庵を建てて過ごしたそうです。
その頃もこれだけ深い森だったのでしょうか?それとももう少し開けてたのかな?森の外には畑が広がっています。慶次は近くの村民たちとも交流を持ちながら悠々自適に過ごしたとか。その片鱗を伺える様な森の姿と畑の風景に心が和みます。
でもやっぱり、この時季の訪問は薦めません…(苦笑)
続いて、堂森を挟んで野球場とはまったくの反対側にある
善光寺へ車で移動。墓地の横に駐車場有。

善光寺山門。行ってビックリ実に見事な紫陽花寺です!

本堂の右側に
前田慶次供養塔がありました。
紫陽花に囲まれ、風流を愛した慶次には似合いの供養塔だと思いました。

紫陽花に紛れて蓮も沢山ありました。時季はちょっと早かったみたい。でも、雨の雫を沢山溜めた蓮の葉っぱは見てて楽しかったです♪
慶次のお墓は、亡くなった時には「一花院」というお寺に埋葬されのですが、江戸時代にその辺一帯の火事でお寺ごと消失し、移されたという記述が残っていない事から行方不明だそうです。一花院があった場所は米沢城と市役所の間辺り…とこれまた不明確。残念。
それと、これは余談ですが、昔庄内藩お抱えの医者に、自分は前田慶次の子孫だ、という人がいたとか。既に苗字は違った気がするけど、何処で読んだ記事だったかな〜(^^;)
その他の慶次縁の場所としては、やっぱり外せないのが高畠の
亀岡文殊堂と上山の
長谷堂城址。今回ついでにまた亀岡文殊堂に寄って聞いてきたんですが、慶次の読んだ句が納められている宝物殿は、普段は一般開放されていないそうです。もし拝観したい場合は、直接電話で拝観したい旨を伝えて、和尚様が許可を出せば見られるそうな。ほとんどが学術調査やなんかのみなので、まぁ私たちが見る事は出来ないでしょうけど(^^;)
それと、米沢の隣りの川西町にある樽平酒造が運営している
掬粋巧芸館に、慶次の鎧と伝えられているものがあるそうです。今度時間が出来たらぜひ行って確認して来たいと思います♪
撮影:08.07.11
追記:08.08.10
掬粋巧芸館の確認が取れました。上杉家から譲り受けた前田慶次の鎧が本当にあるそうなんですが、個人所有物の為に一般公開はしていないそうです。残念…orz