戦国武将石田三成を中心に、史跡巡りと戦国小説・資料等の紹介。西軍贔屓で凄絶に偏ってます♪
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Author:藤之宮悠生。
生息地:出羽庄内藩
趣味:日帰りドライブ
    (往復約600km圏内)
座右の銘:あるがままに。

戦国無双2から戦国時代&武将に興味を持ったので凄絶に西軍贔屓。
無双武将では石田三成、島左近、真田幸村、前田慶次…+イカ(酷)
モ武将&史実武将では佐竹義宣、結城秀康、小西行長、大谷吉継、羽柴秀長、真田信幸、伊達政宗、池田輝政、上杉景勝、宇喜多秀家…増えてるし(苦笑)


普段から道の駅スタンプラリーで走り回ってるので、それに史跡巡りを足したため大変な事に。最近行動範囲がかなり広がってきた。
その分ガソリン代がイタイデス…orz

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人気がある割には意外と資料も史跡も少ない前田慶次郎利益。
彼の鎧が展示されてる宮坂考古館には前回行ったので(と言いながら今回も寄って来たんだけど)、慶次の住んでいたと言われている場所と供養塔のあるお寺に行ってきました。
天気は前日から降り続く生憎の雨模様。
まずは慶次が住んでいたとされる堂森の無苦庵跡慶次清水へ。
地図を頼りに八幡原緑地野球場へ車を停め、遊歩道を歩いて点数ボードの裏へと向かいます。そこに堂森へ通じる道がある…ハズ……???

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階段は…確かにあった。だがしかし、そこにあったのは高さ2mを越す葦の原っぱ。
現実逃避したくなるも、よく見れば誰かが通ったらしきケモノ道のような跡が薄っすらと…行けと?ここを行けと?たっぷり30秒悩んで飛び込みましたorz
水滴でびしょ濡れになり、葉っぱで腕を切り傷だらけにしながらも原っぱを抜けて森に出れば、そこには原っぱよりはマシなケモノ道がありました。どうやら道は間違ってなかったらしいです。
歩くこと5分で突然視界が開け、どうやら目的地に到着。

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と思ったらどうもこっちは違うらしい(^^;)

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本当の慶次清水はこっちだそうです。
でも下の方で両方繋がってるんですけどね(笑)
梅雨の時季なので水量が豊富で水も澄み、青葉が生き生きと蔽い茂っています。とっても綺麗なんですが…蚊が……(泣)夏場の訪問はお薦めしません(T▽T)

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二つの泉の間にひっそりと置かれた小さな御社。

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全体の位置関係はこんな感じ。左が慶次清水で右が泉。前方奥の方に通ってきた道があります。

慶次は晩年、この堂森の清水の傍に無苦庵という庵を建てて過ごしたそうです。
その頃もこれだけ深い森だったのでしょうか?それとももう少し開けてたのかな?森の外には畑が広がっています。慶次は近くの村民たちとも交流を持ちながら悠々自適に過ごしたとか。その片鱗を伺える様な森の姿と畑の風景に心が和みます。
でもやっぱり、この時季の訪問は薦めません…(苦笑)

続いて、堂森を挟んで野球場とはまったくの反対側にある善光寺へ車で移動。墓地の横に駐車場有。

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善光寺山門。行ってビックリ実に見事な紫陽花寺です!

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本堂の右側に前田慶次供養塔がありました。
紫陽花に囲まれ、風流を愛した慶次には似合いの供養塔だと思いました。

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紫陽花に紛れて蓮も沢山ありました。時季はちょっと早かったみたい。でも、雨の雫を沢山溜めた蓮の葉っぱは見てて楽しかったです♪

慶次のお墓は、亡くなった時には「一花院」というお寺に埋葬されのですが、江戸時代にその辺一帯の火事でお寺ごと消失し、移されたという記述が残っていない事から行方不明だそうです。一花院があった場所は米沢城と市役所の間辺り…とこれまた不明確。残念。
それと、これは余談ですが、昔庄内藩お抱えの医者に、自分は前田慶次の子孫だ、という人がいたとか。既に苗字は違った気がするけど、何処で読んだ記事だったかな〜(^^;)


その他の慶次縁の場所としては、やっぱり外せないのが高畠の亀岡文殊堂と上山の長谷堂城址。今回ついでにまた亀岡文殊堂に寄って聞いてきたんですが、慶次の読んだ句が納められている宝物殿は、普段は一般開放されていないそうです。もし拝観したい場合は、直接電話で拝観したい旨を伝えて、和尚様が許可を出せば見られるそうな。ほとんどが学術調査やなんかのみなので、まぁ私たちが見る事は出来ないでしょうけど(^^;)
それと、米沢の隣りの川西町にある樽平酒造が運営している掬粋巧芸館に、慶次の鎧と伝えられているものがあるそうです。今度時間が出来たらぜひ行って確認して来たいと思います♪

撮影:08.07.11


追記:08.08.10
掬粋巧芸館の確認が取れました。上杉家から譲り受けた前田慶次の鎧が本当にあるそうなんですが、個人所有物の為に一般公開はしていないそうです。残念…orz

テーマ:史跡・神社・仏閣 - ジャンル:写真

清正…苦手だったんですけどね(苦笑)
色々資料漁ってるうちに、バカだけど(待て)憎めなくなりましたよ(^^;)
そしてその資料の中で、息子の忠廣公が領地没収の上、庄内藩酒井氏に御預かりとなってた事を知りまして、探してみたらなんとも近くに史跡があるではないですか。本気で知らなかった…。
そんな訳でフラッと散歩がてら行って参りました。

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丸岡城址案内図。
丸岡城は元々は鶴ヶ岡城の支城でしたが、一国一城令の時に取り壊され、その跡地に忠廣公の屋敷が建てられたそうです。

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城址碑と説明。

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左:外堀横の土塁。 右:復元された百間堀。

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御袋様御居間跡の西側にあるお庭の泉水跡(百間堀跡)

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太夫石と巫女石。
忠廣公は熊本から密かに持ち出した清正公の遺骨を太夫石の下に隠したそうです。
そして巫女石の下には母の正応院が土葬されていたそうです。
後に隣りの天澤寺に移されることとなります。



続いてお隣の金峰山天澤寺。

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左側の空き地が丸岡城址。道と平行して間には外堀がまだ残っています。

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加藤清正公墓所入り口。

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清正公の骨壷を納めている覆堂とそれを守る虎(笑)

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骨壷が発見された覆堂の右側にある世代墓所の一角。

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左:加藤忠廣公家士の墓。 右:英梅庵の墓(正応院のお抱え医師)

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清正閣。
これが説明読んでもよく解らなかったんだけど、祀った社だと考えて良いのかしら?

清正自身、毒殺された疑いもあるし、忠廣もハメられて改易になったんじゃ…という説があるのもなんか納得できますな。そんな忠廣一族を酒井家は篤くもてなし、地域住民との交流も許してたんだそうな。そういえば、場所は違うけど清正の弟も確か庄内藩に飛ばされてきてたような気がする。まぁ酒井家自体左遷させられてこっち来てたようなもんだしね…流刑地ですか庄内はorz
ちなみに遺骨は分骨じゃないかと言われてるんだけど、DNA鑑定した訳でもないので真偽は定かではないです。一緒に出土した清正の鎧(といわれている物)も公開はしてません。残念。



おまけで、致道博物館で酒井家のお雛様と武具が公開されていると聞いたので行ってきました。

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左:赤門。 右:旧庄内藩御隠殿。

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旧:西田川郡役所。中には新微組の資料が沢山あります。

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酒井氏庭園(本間家庭園の方がもっと広…ゲフゴフ)

致道博物館は鶴ヶ岡城址の隣りにあって、広い敷地内に他にも重要有形民族文化材収蔵庫や、美術展覧会場などもあります。雛人形展は御隠殿の方で、酒井家美術資料展は展覧会場の方で行われていました。
雛人形の方ですが、実は先月日本一の豪商と謳われた本間家の雛人形も見に行ってきてたんですが、財力も発言力本間家に負けていたとはいえ、腐っても大名家。歴史と家柄の差は偉大だな、と思えるぐらい素晴らしい雛人形と雛道具がありましたよ。でも両家とも素晴らしい事にはかわりないんですけどね♪現在庄内雛街道という催し物が行われていて、旧家の雛人形があちこちで公開されているので見に来れる方は一度来て見てください。
でもって酒井家美術資料展の方はというと、てっきり初代庄内藩主の酒井忠勝公のものが中心かとおもいきや、なんと徳川四天王の一人、酒井忠次公の遺品が中心でした。
家康公の書状や、忠次公の兜、小牧長久手の戦いの時の武功で家康公に貰った太刀やらまぁ色々あるわあるわ。長男だったから、祖父の遺品を受け継いでたのね〜というか、こんなお宝が庄内にあった事が驚きでした(^^;)
写真撮影不可なのが悲しい…orz
ともあれ、思いがけないお宝が見られて楽しかったです。

参考サイト:致道博物館
撮影:08.03.20

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前回時間切れで門が閉まってた上杉家廟所にリベンジ〜(苦笑)

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門と参道。開いてて良かったw

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門から真正面にある謙信公の廟墓。

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左隣にある景勝公廟墓。

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その他歴代の米沢藩主の皆様。

杉林に囲まれた場所で、100円の拝観料がかかります。100円でここを維持するのに役立てるなら安いもの!と思えるぐらい静かで趣のある神域でした。



続いて前回のリベンジパート2!春日山林泉寺へ。

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山門。

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景勝公の奥方様、菊姫のお墓。

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直江兼続夫妻のお墓。

山門をくぐると墓所の前に箱があって、そこに自分で100円の拝観料入れて見学開始。
歴代の上杉家に縁のある方々のお墓が沢山あります。
家臣団に興味のある方にはなかなか楽しい場所かも。
兼続夫妻の墓は、夫婦揃って一緒にお墓が建てられてるのは、あの時代にしてはちょっと珍しいような気もしますがどうなんですか?跡取りが居らずに直江家は断絶してしまいましたが、それもあの頃としては珍しいことですよね。養子をむかえて存続すれば事は容易いのですし。そうしなかった兼続の心境を巡っては色々な小説で語られていますが、個人的には関ヶ原へ直接参戦出来なかった事への悔いと謝罪を、御家断絶という形で示したという説を推したいです。ええ、願望です(苦笑)



ついでに雪の米沢城の御濠と稽照殿。
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稽照殿は1〜3月は休館なので、兼続の愛の鎧見に行きたい人は気をつけて下さいね〜。

撮影:08.01.05


↓こっからはオマケ。色々障りがあるので興味のある方だけドウゾ(^^;)
⇒ 続きを読む

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まずは神社にご参拝〜♪
ちなみに城址や博物館のあるこの辺一帯を松が岬公園といいます。

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直江兼続を祀っている松岬神社。

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本丸跡地を囲む濠と、東門跡に向かう大橋。

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東南隅高台跡の近くにある政宗誕生地の碑。

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公園内にある謙信公の像。

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上杉神社本殿。

本殿の右隣りに稽照殿があって、謙信公や直江のお宝満載。必見。
政宗誕生の碑は道端にポツンと建ってて、気をつけて見ないと気づかないぐらい存在感ないです。そして、ここに伊達家が居た証拠を残すものもこれ以外ありません。なんだか哀れだわ…(^^;)



松岬神社向かいにある上杉博物館「伝国の杜」

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左から景勝、兼続、謙信の兜の前立。

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秀吉が直江に米沢30万石をあげるよんと書いた書状と、直江の肖像画。

写真撮影可なのは嬉しいけど、2/3が上杉鷹山の展示物なので楽しさ半減(苦笑)
でもって建物の写真撮り忘れてるし。まぁもう暗かったしなぁ…。パネル展示が主なので、大まかな歴史探索気分で見学するには良い場所です。
信長が謙信に贈ったとされる、国宝「紙本金地著色洛中洛外図」の屏風は圧巻です。
ココと向かいの松岬神社隣りの上杉城史苑で武将グッズやお土産物が購入できます。
お堀端は桜の名所なので春にも来てみたけど、その後のGWの上杉祭りは武者行列が出るので1回はぜひ見に行きたいです♪


撮影:07.10.03
参考サイト:米沢観光情報

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東北の関ヶ原、で有名な長谷堂城の戦い。
上山城から西へ5、6kmぐらいの山間にその城址はありました。

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登り口。駐車場有。

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石碑と説明板。

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山形市方面への眺望。

石碑のある頂上までは20分ほど。道以外は結構急な斜面なので、直江が半月かけても攻め落とせなかった理由がなんとなく納得できます。ただココ、縄張図もなんもないんで、何処が本丸で何処が門だったのかまーったく解りません。石垣か土嚢の跡でもあるのかな〜と探そうと思ったんですが、小学生御一行様が遠足ランチしてまして、探すどころか感慨に浸る間もなくいたたまれずに撤退…orz



亀岡文殊に前田慶次の書いた句が納められていると聞いて行ってみました。

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参道入り口の仁王門と参道。結構な坂道です。

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本堂。

三時半で参拝してたんですが、なんと宝物殿が三時で閉館でしたorz
前田慶次の句が残ってる理由は、ここで上杉家が米沢に移封された翌年に、直江主催で詠会が催され、漢詩や和歌あわせて100首が奉納された為だそうです。
その他にも伊達家の義姫が政宗を身篭るためにココと湯殿山に祈願してたとか、何気に武将に縁のある寺だったんですね。知らなかった…(^^;)
とりあえず、長谷堂城と亀岡文殊は来年リベンジ確定。

どうでもいいオマケの位置関係。自家用車移動時間。
長谷堂城から上山城までは10分。上山城から山形城まで20分。
上山城から亀岡文殊まで45分ぐらい。
亀岡文殊から米沢城址まで30分ぐらい。

撮影:07.10.03

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えー…最上氏が苦手なんで(県民のくせに)まったく興味なかったんですが、せっかくなんで初めて霞城公園に寄ってみた(苦笑)

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二ノ丸東大手門横の御堀。大手門も撮ったハズなのに写真がない…orz

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最上義光像。無意味にカッコイイな…(チッ)

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最上義光資料館。中は撮影禁止。

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山寺の立石寺にある義光の霊屋。


山形城は現在広大な霞城公園になってて、大手門のトコだけ復元されてます。公園内部では現在進行形で発掘調査中。大手門を出て徒歩2分で歴史館があります。歴史館では鎧や刀、書状などが解説つきで展示。中でも長谷堂城合戦の図の屏風は圧巻!超お薦め!
でもさっきサイトで見てきたら、来年1月中旬まで長野県立歴史館に貸出中との事。
義光公のお墓は、たまたま山寺に紅葉見に行って発見。こんなトコにあったんだ…(苦笑)
なんか勘違いしてる人が多いようだから説明すると、「山寺(やまでら)」って寺の名前じゃなくて地名です。立石寺(りっしゃくじ)が寺の名前ですよ〜★
でもって、立石寺が山形城の鬼門の方角に位置してるって初めて知った…(^^;)


撮影:07.11.07&12.04
参考サイト:最上義光歴史館 ・ 立石寺

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