伊達政宗が米沢城から仙台城に移る前に、12年間過ごしていたという
岩出山城。
実際にはちょうど朝鮮出兵の頃の時期なので、ほとんどこの城には居なかったようですが。
場所を調べてみたら、自分のトコからは米沢城や仙台城に行くよりも近い事が発覚!
これは行くしかないでしょうw

陸羽東線・勇備館駅に着くなり政宗公がお出迎え。やっぱり馬上の姿なんだw
伊達家の家臣子弟の学問所である勇備館は目の前ですが、まずは城山に向かいます。

大手門跡。
現在は小学校の入口になっていて、つづら折の坂道がなんとなく雰囲気を残してるだけです。
こちら側からは城山に登れないので(道はあるのですが、学校の敷地内を通らないと行けない為に通行禁止のロープが…)車で北側から一気に本丸まで登ります。ええ、本丸に駐車場があるんです(苦笑)

本丸跡の広場と城址碑。

案内図で縄張りを確認。
その隣りに、あまりにもストレートすぎる句が…( ̄▽ ̄;)

左:池の向こうに搦め手口があったらしい。
右:搦め手口から東の腰廓跡へ続く道……行けるか!ヽ(`Д´)ノ
なんかもう最近こんなんばっか…orz

本丸と出丸を繋ぐ虎口土塁。誰が見てもはっきり解る遺構が残ってるのはここぐらいかな。

出丸に建つ政宗公平和像。
仙台城址の初代馬上像(博物館の裏庭にある
アレ)が戦争で徴収された後、二代目馬上像(現在建ってる有名な
アレ)が建てられるまで、仙台城址にあったセメントで作られた像だそうです。表情が優しく慈愛に溢れたなんとも言えない温かな像です。

出丸から南側虎口を見下ろしたところ。

出丸から西の腰廓へ降りて、南側虎口へ向かう途中にある空掘に架けられた橋とその空掘。
深くて下が良く見えません。昔もこうやって橋を架けてたんでしょうね。

南側虎口から出丸を見上げたところ。
虎口の隣りに小さな曲輪があって、多分それが南の物見跡なんじゃないかと。
そこから階段が小学校へと伸びているんですが、やはり通り抜け禁止のロープが。階段の先から小学校入口の大手門跡までは、小学校のグランドが横たわっています。ここが大手道……だったんだろうな、きっと。

左:南の腰廓跡。眼下に市内が一望できます。
右:西の腰廓。帯曲輪状で仕切り段差が幾つか連なり二ノ丸跡に繋がっています。

左:二ノ丸跡の遊歩道。右:北の物見跡。
北の物見跡へは現在は危険なため立入禁止となっています。
こっそり登ってみたら、廃墟と化した展望休憩所がありました。いっそ撤去して説明板の一つでも立ててくれ…。ここから搦め手口へと続く道があるハズなんですが、それも藪に阻まれ消えていました。

二ノ丸から北側の廓へと渡る橋と、その橋がかかってる堀切。
…てか堀切ってレベルの高さじゃないし!崖だし!真下に勇備館と駅が見えます。
この堀切は橋の東側が勇備館へと続き、西側は小学校へと続きます。

北側の廓の外側にある北の大空掘。かなり深いです。
現在は遊歩道になっていて、勇備館まで散策路が続いています。

左:蛭沢川。右:内川。
城山の西と東をそれぞれ川が流れ、天然の水堀となっています。まさに天然の要害!
縄張りから見て、かなり守りに適した攻めづらい良い城だったんだなってのは解って楽しかったんですが、いかんせん市民の憩いの場として公園になっているので遺構はあまり残っていません。そのうえちゃんと整備されていないので、公園としても機能していないので荒んだ感じが漂っています。
城址の説明も本丸の看板だけなので、せめて場所毎に解説板立てるとか、石碑置いとくとかして欲しいなと…春日山城址を見習えとは言わないけど、市の観光サイトであれだけ宣伝してるならもう少し何とかはして欲しいです。
そんな訳で続いて
勇備館。伊達家中の学問所です。
現存する学問所の中では最古だとか。

正門と旧学舎入口。

主屋と何故か中に居た政宗公w

庭園の対岸から見た主屋と、池に浮かぶ茶島にある茶室。

庭園の竹林から射す木漏れ日が優しく清々しいです。
ここに着てから知ったんですが、ここは元々は政宗公の息子の宗泰の隠居所だった場所だとか。
なので直接政宗公には関係のない場所だったのね〜残念。伊達家の資料とかもとくにはありませんでした。庭園の見事さを堪能する場所だったみたいです。
にしても、夏の城址巡りはやっぱり大変ですね。色んな意味で(苦笑)
参考サイト:
大崎市観光案内撮影:08.08.04