戦国武将石田三成を中心に、史跡巡りと戦国小説・資料等の紹介。西軍贔屓で凄絶に偏ってます♪
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Author:藤之宮悠生。
生息地:出羽庄内藩
趣味:日帰りドライブ
    (往復約600km圏内)
座右の銘:あるがままに。

戦国無双2から戦国時代&武将に興味を持ったので凄絶に西軍贔屓。
無双武将では石田三成、島左近、真田幸村、前田慶次…+イカ(酷)
モ武将&史実武将では佐竹義宣、結城秀康、小西行長、大谷吉継、羽柴秀長、真田信幸、伊達政宗、池田輝政、上杉景勝、宇喜多秀家…増えてるし(苦笑)


普段から道の駅スタンプラリーで走り回ってるので、それに史跡巡りを足したため大変な事に。最近行動範囲がかなり広がってきた。
その分ガソリン代がイタイデス…orz

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関ヶ原行った目的の最大メイン、西軍陣跡巡り〜♪

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やって来ました笹尾山。西軍ファンの聖地、石田三成の陣跡。駐車場のすぐ横から竹矢来がお出迎え。

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裏からみると二重に竹矢来が設置されてます。これを一晩で組み上げるのは無理だと思うので、私はやっぱり以前からココで決戦をする準備を前々から計画していた説を推します。家康に関ヶ原に誘き出された説なんて知らん!(苦笑)
最終決戦地からは目と鼻の先。色んな感傷が渦巻きます。

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竹矢来の東端に立てられた嶋左近陣跡の説明札
旗印もここだけちゃんと左近の物w 実際の陣跡はもう少し東側の小学校の辺りだったそうです。
とすると、この辺は蒲生や舞が守ってたのね。
笹尾山山頂へは2本道があって、どっちを登っても徒歩5分で到着。

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石田三成陣跡と説明札
やっとここまで来たよ。遠かった…(つ∀`)
けっこう整備されてて、お弁当食べてる人とかもいました。平和だ…。

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笹尾山から見下ろした関ヶ原。奥に3段に見える山の一番手前の山が、小早川の居た松尾山。
あそこから兵が東軍方向に動くのを、三成はどんな思いで待ち望んでたんだろう。
考えてみると狼煙でしか通信手段がないってのもホント不便だよね〜。
後ろ髪を引かれる思いで山を降りて次の場所に移動。

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島津義弘陣跡
笹尾山からは直線で2、300mあるかないかです。
島津の関ヶ原での行動を読む度に、男の意地ってときどき始末に終えないよな…とか思うの私だけですか?あのとき豊久じゃなくて義久に会えていたら、また違った歴史があったのかなとも思います。なんにせよ、島津のだんまりは小早川の裏切りとなんも変わらないと思うのですよ。そこに拘ってるからいまだに島津が苦手なんだろうな〜無双2も進まないorz

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小西行長陣跡
島津陣跡からは目と鼻の先です。すぐ見えてます(苦笑)
島津さえ動いてたら小西隊は敗走しなかったんじゃーと叫んでみても後の祭り。うん、いいんだ。単に私が小西贔屓なだけなんだorz
本によって躁鬱の両極端に書かれているし、宇喜多や三成の為に身を挺して奮戦したのもあれば、大垣城で三成と軍議が合わずに戦いそのものに絶望したまま、死に場所を求めて戦っていたという説もあって、本当につかみ所のない武将なんですがね。資料の少なさが本によって性格が違ってしまう原因かと。面白い男だと思いますよ。色んな意味で。
そうそう、この辺一帯車1台通れるだけの細い道路なので、車で周る人は要注意。私も笹尾山から島津に行く途中でお見合いしましたよ。相手がバックしてくれて助かりました(^^;)

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宇喜多秀家陣跡
満天山神社の境内にあります。島津の時にも思ったんだけど、2個石碑があるのは何故?小さい方「浮田」になってるし…まぁわざと当て字にする場合があるので、あながち間違いではないですが。
宇喜多といえば、実は三成が挙兵するよりも早く、先に宇喜多が挙兵したから三成は計画を前倒しして徳川に挑んだって説がありますね。もしそうだったのなら、総大将を毛利じゃなくて宇喜多にしてたら、また違った歴史が動いたのかな〜と妄想してみる。まぁ実際問題、格の差で毛利を立てなきゃいけなかったんだろうけど。秀家の若さがな〜と同時に小早川の若さもな〜二人ともせめて三成とは云わない。幸村ぐらいの年齢だったら更にもうちょっと違った結果になったんじゃなかろうかと。なんか色んな意味で惜しいなぁ。

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平塚為広の碑
宇喜多からは真っ直ぐ来れば10分ぐらいなんですが、徒歩じゃないと行けません。ダムが渡れない…orz
車&自転車は一回松尾の交差点まで戻って、R21経由で向かってください。
行った時は勉強不足で彼の事をよく知らなかったんですが、帰ってきてから大好きになった武将ですw
彼も一応大名の一人なんですよね?陪臣じゃないよね?なのに吉継の代わりに隊を動かしたり、三成への使者に立ったりと、彼こそ友人の鏡じゃないのかと思うのですが。死ぬ間際に吉継に送った辞世の句もまた泣ける。
彼にとっては吉継も三成も、秀吉から託された大切な弟達のようなものだったのかな〜となんとなく妄想してみたり。資料少ないのは西軍故ねorz

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大谷吉継陣跡
表記は吉隆になってますけど、関ヶ原直前に吉継から吉隆に改名したそうな。
平塚さんのトコから徒歩15分ぐらいかな?ほぼ登山道なので自転車も不可。車は駐車場もないので路駐するしかないです。
でもね、ここに着いて気づいたんだけど、なんか真下に見える神社から道が繋がってるように見えるのは気のせいですか?かなり急な勾配だけど、多分ここから来るのが一番近いと思います。
ここは合戦終了後の夜に、家康が休んだ場所でもあるそうな。
まぁ大谷隊は山を降りた場所で小早川や脇坂の寝返り隊と奮戦して壊滅したので、山の上のこの辺は死体が少なかったからって事でしょうか…('A`) もちろん一番西側だって事もあるでしょうが。次の日はここから佐和山城へ攻め込んでますからね〜…orz
この辺一帯、よく見ると地形を生かした土塁の後が残ってるそうです。私には区別つきませんが。その辺から考察するに、大谷隊は早くから関ヶ原で戦準備をしていたと思われるそうです。発見してくれた研究家の方々ありがとう!早くその説が定説になりますように…。

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大谷吉継の墓の碑。

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左:湯浅五助の墓  右:大谷吉継の墓

こんな山奥にしては…立派ですな。
平塚から敵の生首に添えられた辞世の句を受け取った吉継は、その後奮戦するも味方の瓦解は止められず、已む無く近習の五助に介添えを頼んで自決。首を敵に渡さないで欲しいという遺言に従って、五助は山中にその首を埋める。しかしそれを藤堂高虎の配下に見つかり、自分の首を差し出す代わりに主君の首の場所だけは隠し通してくれと頼み討ち死に。五助の首を持って家康の首実検の場に現われたその武士は、五助の近くに吉継の首は無かったかと訊ねられたが、場所は知っているが武士の最後の願いゆえお答えする訳にはいきません、と堅く口を告ぐんだ。その武士の心意気に感じ入った家康は、それ以上追及することはなく武士も不問に処された。その後高虎によって五助の亡くなった場所に二人の墓が建てられた。
という事らしいです。ちなみに吉継の首は未だに見つかってないそうな。
なんつーか、こんなに家臣や友人達に想われる吉継ってば、どんだけ好青年(?)だったんだろうと想像だけが膨らみます。西軍敗将であるながらも美談が多く残るのがその人柄を表しているというか…良い殿様だったんでしょうね。


てな訳で西軍巡り終了〜♪正味車で周って2時間ぐらいでした。
ん?脇坂?小早川の陣跡?裏切った武将は西軍ではありません事よ。
というより小早川の松尾山は登るのメンドクサ('A`)
まぁ次回って事で。

ところで、色々写真撮ってて思ったんですが、皆さんお墓の写真撮るときどうしてます?
私の場合、一応心の中で戦国地史跡巡りをしていて近くに来たのでご挨拶に伺いました。と、写真を撮らせて下さいお願いいたします。って感じのを云ってから撮影してきます。
たまに線香やらお花やらお酒やら置いてあるのを見ると、そういうのもお礼に置いてきた方が良いのかな〜?と思うんですけど、どうなんでしょ?ヘタに関係ない墓には線香も何もあげない方が良いって話も聞くし、でも写真撮らせて頂いてるし……自分はこうしてから撮ってますってのありましたらどうか教えてください。
史跡巡りは初心者だから、礼儀その他がまったく解らないのが難点ですわorz

撮影:07.11.24
参考サイト:関ヶ原町観光協会

テーマ:史跡・神社・仏閣 - ジャンル:写真

メインは西軍陣跡巡りだったから、駅から北側しか回ってないんだなコレが(苦笑)

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徳川家康最終陣跡
最初の陣跡って桃配山だっけ?車で通ってるハズだけど気づかなかったな…。
民族資料館から徒歩2分。すぐ目の前に見えるので迷うことはなし。陣の敷いてあったサイズに石垣で囲ってあるので無駄に広いですw こっから決戦地までは北西に500mぐらいです。

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田中吉政陣跡
家康の陣跡のすぐ隣りにあるんですが、うっかり見落としそうなほどちまっと道端にあります。
個人的には表裏ありそうな人物として認識してるのであんま…ゴニョゴニョ。
多分、童門さんの小説の影響受けてるのかも(苦笑)

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井伊直政・松平忠吉陣跡
東首塚のすぐ横にあります。確か関ヶ原での一番槍を福島がやるはずだったのを、彼らが物見だと称して抜け駆けしたのが開戦のきっかけですよね?
ここから宇喜多の陣は真西だけど、福島の陣は南西だから若干福島隊が北に伸びて布陣してたのかしら?それとも井伊&松平隊が南西西方面に走っていって前出して布陣してた宇喜多隊とぶつかるのを福島隊が気づいたのかしら?
どっちにしろ、位置的に考えて正しい開戦地は松尾の交差点と開戦地の碑の中間ぐらいでOK?場所知ってる方おられましたら情報及び関連サイト教えてください(^^;)

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左:黒田長政・竹中重門陣跡  右:丸山狼煙場(開戦の狼煙をあげた場所)

黒田&竹中の陣跡からは、笹尾山が真西で、家康の最初の陣跡は南東です。
左近が黒田の鉄砲隊に撃たれた事を考えると、左近隊は真っ直ぐに家康の陣へ向かって途中の黒田&竹中隊と激戦を繰り広げたのがよく解ります。
ところで、ふと気づいたんですが竹中って…竹中半兵衛の息子ですか?
(検索中)…知らなかった…orz
ああ、そうなんだ。息子同士で陣一緒に敷いてたんだ。そっか。
黒田長政は、個人的には…好きな方かな?たとえパフォーマンスにしろ、三成に羽織をかけてくれたから。戦が終れば遺恨も何もそれまでの話、と割り切れる性格が好き。同じ理由で高虎も好き(苦笑)
にしてもこの場所だけ、ちょっと解りづらいです。微妙に地図が間違ってる気がしないでもない。というかあとひとつ標識増やすだけで解りやすくなると思うんだが…(^^;)
で、結局狼煙あげたのはどっち?


そんな訳で東軍巡り終了。
次は高虎や福島の陣にも行きたいな。行った時はそれほど東軍に興味なかったからね〜二ヶ月経って、やっと興味出てきたよ(苦笑)

撮影:07.11.24-25
参考サイト:関ヶ原観光協会

テーマ:史跡・神社・仏閣 - ジャンル:写真

☆東軍でも西軍でもない場所のまとめ☆

関ヶ原歴史民族資料館
まずはココか駅でウォークマップをGETしましょう。
来れたのが嬉しくて舞い上がって写真撮り忘れてるよw
自転車を借りたり、スタンプ押す人は後でもいいけど、お土産は先に買っちゃった方が良いかもしれません。閉館が早いので(^^;)
資料も充実してるので、ここでこれから回る場所の確認も兼ねてじっくり見学していきましょう♪

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関ヶ原古戦場開戦地の碑
なんでこれがこんなトコにあるんだと、ツッコミ入れてくれと云わんばかりの開戦地の碑。
だって小西の陣跡の隣りにあるんですよ?
さて問題です。開戦のきっかけは何処と何処の隊だったでしょう?
宇喜多ですよ宇喜多!宇喜多と井伊&松平ですよ!(+福島)
後で確認したら、道路拡張で北に移動させられてたとの事。移動させたら碑の意味ないじゃん。どうせなら道路の横にひっそりと残しておいてくれた方が良かったよ(つД`)

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最終決戦地の碑
あと50mで笹尾山です。右側奥の小学校のトコに左近の陣が敷いてあったそうなので、いかに石田軍が攻め込まれてたのかが解るとっても切ない場所ですわ。ちなみにここからは島津の陣にも直線で200mちょっとかな。あんのクソジg(強制終了)

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東首塚
駅から直ぐのトコにある首実検場所のひとつ。
西首塚は駅の反対側にあるそうだけど、今回は行けなかったので次回。
首塚自体は西軍東軍関係なく、戦で亡くなった人を葬る場所なんですね。初めて知りました。亡くなったら敵も味方もないってのはなんか良いな。
地元の方が、電気工事で道路掘ったら骨がゴロゴロ出てきたってのを仰ってたんですが、それだけ激戦地だったって事ですよね。供養塔を建ててこうして慰めていても、どれだけの人が恨を残さず上がって行ってるのやら。
首実検で舞兵庫親子の首が上がってるのが更に切なくて、しっかり手を合わせてきました。

関ヶ原ウォーランドも話に聞くと面白そうなんだけどね〜これも次回かな(^^;)


撮影:07.11.24
参考サイト:関ヶ原町観光協会

テーマ:史跡・神社・仏閣 - ジャンル:写真

関ヶ原と大垣城は切っても切れない〜って事で大垣城へ。
ぶっちゃけ愛知&岐阜&滋賀回るのに2泊大垣市に宿泊してましたw
立地いいなぁココ♪

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柳口門。西門も撮ったハズなのに写真が見つからないorz

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天守閣。

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入り口入ってすぐの旗印の展示にトキメク☆w

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天守閣からの関ヶ原方面の眺め。左側台形の山が南宮山。右の奥が伊吹山。

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西門近くにあった戸田公の像。伊藤公の足跡はないのね…orz

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公園横にある大垣市郷土館。

昭和20年までは現存してたんですね、この城。戦後すぐに復元されたなんて、地元民に愛されてるな〜小さいながらも重厚さといい、中の展示物の充実といい、個人的には好きな天守閣のひとつです。映像コーナーも充実してたけど、行ったときには残念ながら全部のPC埋まってて観られませんでした(つД`) 説明に三成関連のがあるって書いてあったから観たかったんだよ〜でもきっとココにはまた来るだろうとオモワレ。うっかり隅櫓も確認しわすれて帰ってきちゃったしね。
関ヶ原まで18kmって立地も素敵。彦根や長浜でもいいけど、R8の渋滞がな〜近距離でも高速乗る人の気持ちがようやく理解できたよ(田舎じゃ高速乗る意味ないぐらい下道空いてるし…)
関ヶ原の合戦のときは、西軍は南宮山の南側を通って関ヶ原に布陣したので、更に遠回りになって20kmぐらいなんでしょうか?真夜中な上にかなりの土砂降りの中、険しい山道を明かりも無いままに行軍…どれだけ厳しい行軍だったんでしょうね。
ようやく辿り着いて布陣してからも、三成は各陣を馬で回って最後の確認をしていたというから、徹夜で戦に臨んだのかな?それだけ不安要素盛り沢山だったって事かしら…なんか想像付くから嫌だorz
そうそうココ、駐車場は柳口門前にスペースがあります。もしくは西門側の公園横に路駐三昧です(^^;)

オマケ。大垣城のライトアップ。
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写真は怖いけど(苦笑)実際は綺麗でしたよ〜でも誰も居ない公園で一人写真を撮る姿は不審者以外のなにものでもない…orz

撮影:07.11.24
参考サイト:大垣城

テーマ:史跡・神社・仏閣 - ジャンル:写真

朝一番のロープウェイで金華山山頂へ〜☆

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ロープウェイ乗り場。

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ロープウェイから見える三重の塔。登山道から行けるっぽい。

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左:中腹の二の丸・冠木門  右:多分本丸入り口の門…資料無いorz

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三箇所しかない井戸のひとつ。足場狭くて撮りにくい。

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千成瓢箪発祥の地。だそうな。

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峰を歩いてようやく見えてきた天守閣。

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天守閣の真下に到着☆

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天守閣内の展示物。

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天守閣から見た大垣・関ヶ原方面の景色。白い山は伊吹山。

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隅櫓城郭造りで建てた資料館と展示品。

まず、想像してたよりも標高高くてビックリw昔の人はこれを毎日歩いて登城したんですか?大変だな…(苦笑)登山道は2コースあるそうです。いや、体力ないんでパスですが。でも土塁や石垣の跡確認したいんだったら下りだけでも歩いた方が楽しいのかも。時間があればですけど。
観光地化してるだけあって、復元率は高い方かな。資料も充実してて見ごたえあり。
麓の信長の屋敷跡地もそれなりに整備されてて、じっくり見れば面白い発見とかあったんだろうけど、ちょっと時間がなくてスルーしちゃいました。
また今度来れたら、その辺と岐阜市歴史博物館も一緒に回ってみたいです。
それほど信長公には興味なにので、どうしても大雑把になるのは致し方ないのか(^^;)
どっちかっていうと西軍だった孫の秀信が、難攻不落と名高い城だったから篭ってればそれなりに時間稼げたのに、東軍の誘いにホイホイ出てっちゃってサクッと負けた大ばか者!の舞台となった場所ってイメージの方が強いってどうよ?自分でも大概間違ってるとは思うけどね(苦笑)


撮影:07.11.24
参考サイト:岐阜城

テーマ:史跡・神社・仏閣 - ジャンル:写真

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