戦国武将石田三成を中心に、史跡巡りと戦国小説・資料等の紹介。西軍贔屓で凄絶に偏ってます♪
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Author:藤之宮悠生。
生息地:出羽庄内藩
趣味:日帰りドライブ
    (往復約600km圏内)
座右の銘:あるがままに。

戦国無双2から戦国時代&武将に興味を持ったので凄絶に西軍贔屓。
無双武将では石田三成、島左近、真田幸村、前田慶次…+イカ(酷)
モ武将&史実武将では佐竹義宣、結城秀康、小西行長、大谷吉継、羽柴秀長、真田信幸、伊達政宗、池田輝政、上杉景勝、宇喜多秀家…増えてるし(苦笑)


普段から道の駅スタンプラリーで走り回ってるので、それに史跡巡りを足したため大変な事に。最近行動範囲がかなり広がってきた。
その分ガソリン代がイタイデス…orz

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観音寺からひと山越えた場所にある石田町。石田三成のふるさとです。
松田酒店のある交差点から、一見行き止まりのような路地を入っていくと右手奥に石田会館があります。石田会館は石田屋敷跡地にあります。といってもこの辺一帯全部屋敷跡地だったみたいですが。ちなみにそのまま真っ直ぐ行くと八幡神社。

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会館に着くと三成公の像がお出迎え。お邪魔致します。

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会館敷地内にあるお堀の名残の治部池。
交差点の所からこの辺全部、石田屋敷跡地なんだそうです。地方郷士にしてはかなり敷地が広くないですか?けっこうな大屋敷だったんじゃ。
会館は日曜は午後のみ、月曜は午前中のみ、という風に不定期なので、もし会館内を見学したい場合は事前に電話連絡をして、時間を確認した方が良いと思います。私も思いっきり空振りました(苦笑)WEBサイトがないのが残念ですなorz
夕方出直して来て会館内を見せて頂きましたが、ボランティアの方の丁寧な説明に感じ入りました。展示物もパネル類が多いのですが、様々な場所に散っている遺物をパネルとはいえ一同に見学できるのは嬉しいですね。ビデオ上映も楽しかったです。
ここでしか買えない資料などもありますので、是非一度は足を運んでみてください。

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石田家の氏神様八幡神社。
なんとなく青森の杉山八幡宮を思い出しました。
この神社を偲んで建てたのかな…と思うとちょっと切ないです。

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神社の裏手にある供養塔。

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供養塔がいっぱい。
この辺一帯から、石田家に縁のある遺骨が沢山出土したんだそうです。
それを丁寧に集めて供養したのがこの場所。佐和山で亡くなった石田家家中の皆様も全部含めての供養塔。毎年11/3に三成供養祭が行われていて、三成公を慕う方は何方でも参加しお待ちしておりますとの事でした。
正直参加してみたいのは山々ですが、俄かファンの為申し訳なさ過ぎて無理。絶対無理。

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左:辞世の句  右:直筆の歌
あの…辞世の句を残さずに潔く果てたと聞いたのですが、これっていったい?
いつ歌ったものなのかしら?関ヶ原前にしたためてたとかですか?(^^;)
右の歌は、確か宮島の厳島神社で読んだ歌でしたっけ?(うろ覚え)あれ?何かと間違ってる気がしないでもない。けど、散り残る紅葉が豊臣家を指してるんじゃないかってのだけは覚えてる(苦笑)

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産湯の井戸。
交差点から北へ向かってすぐ左折した場所にある井戸。石田正澄の街灯の近くです。ここまで屋敷跡地内だなんて、本当に広いお屋敷だったんですね。

石田町では本当に皆さんで石田三成公を大切に守っていて、なんだか心が温かくなるような場所でした。とりあえず街灯のリベンジだけは果たしたいので、確実に再訪はするでしょう(笑)その時は横山城も登れると良いんだけど…小谷城なみに厳しそうな予感。

撮影:07.11.25
参考サイト:北近江総合情報サイト

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秀吉と三成の出会いの場所、のひとつと云われる観音寺。他にも候補が2、3箇所あるみたいなんですが、石田町からの距離と横山城からの距離を考えると、ここが一番信憑性があるそうです。出会いのエピソードでもある三献茶の話自体がアヤシイというのは今回は無視の方向で(苦笑)

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観音寺山門。両サイドの灯篭が立派です。

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参道。

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本堂。奥に廊下で続いた小堂があります。

三献茶のエピソードとは、この寺で行儀見習いとして寺小姓をしていた佐吉(石田三成)は、ある日鷹狩りの途中で立ち寄ったお武家様と出会います。のどが渇いたので茶を所望する相手に、佐吉は1杯目は温くて飲みやすい茶を大きな碗で。2杯目は最初の茶より少し熱く、やや小振りの碗で。3杯目は小さな碗で茶の味の良くわかる熱いお茶を。茶の出し方の機転の良さに感じ入った侍は、名を羽柴秀吉と名乗り佐吉を側小姓として召抱えました。というものです。
この話、それだけ小さい頃から頭が良く機転が利いた、というエピソードですが、別な角度から見ると卑しい寺小姓の出身だと、三成を貶めているエピソードでもあるそうです。見方によって随分と違うものですね。

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山門の左手奥にある、三成の茶の湯の水汲みの井戸。
……あまりの胡散臭さに脱力したのは私だけでいい(苦笑)


三成が秀吉に仕えた時期は、15歳説と18歳説があるそうです。
15歳説はこの三献茶の説ですね。当時の15歳はかぞえなので、13歳ぐらいと思って下さい。
18歳説の方は、最初どっか別の人に仕えてて(忘れたorz)そこから秀吉に取り立てられたって話じゃなかったかなぁ。三成は次男(正確には三男。長男は幼くして早去)なので、家督は継げないから寺に入れられたってのも想像つくし、同じく家督が継げないから仕官したってのも想像つく。どっちにしろ、三成は武士になりたくてなった…のかなぁ?むしろあの潔癖さは僧侶に向いていたんじゃないかとも思うんだけど…まぁその辺は想像の域で。
武士になったからこそ、素晴らしい出会いが沢山あったんだしね。

撮影:07.11.25

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ファンの間では有名な石田町の西軍武将の説明書き付街灯。
とりあえず探せるだけ探してみました。

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起点となるバス通りの交差点。ここから放射状にある…ハズ。
そして先に云っておきますが、バカな事に肝心の街灯写真を撮り忘れてますorz
街灯の形は写真右の三献茶のモチーフと同じもの。

まずは西へ移動。
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キリシタン大名・小西行長

西は1つで終わりみたいなので、次は南に移動。
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三成の父・石田正継

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三成の忠臣・磯野平三郎。……ちょっと待て。この人大阪の陣で確か東軍…orz

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信州の勇将・真田昌幸。三成とは義兄弟ですな。

南が行き止まりになったので、次いで北へ。
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三成の兄・石田正澄

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三成の盟友・大谷吉継。親友でも良いよねぇ?(笑)

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東の盟友・直江兼続。でも悲しいかな大阪の陣では東軍…orz

先がどんどん住宅街になっていって解らなかったので、切り上げて東へ移動。
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三成の右腕・島左近。右腕か…いや合ってるけど、他にもっと良い表現なんかないかな?

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同僚の行政官・長束正家。同僚って言い方がなんか他人行儀だな(笑)

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出世城横山城主・羽柴秀吉。ちょ!関ヶ原関係ないし(笑)でも三成には大切な方ですな。

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毛利家の外交僧・安国寺恵慶

ここで町外れに着いてしまったので、先に進むかどうか迷うも撤退。
11人しか見つけられませんでした。西軍なのであと足りないのは、宇喜多と島津?
という訳で、帰ってきてから他の方の協力を得て調べてみました。

(交差点を中心にして)発見、未発見。
東:(観音寺方面へ)左近長束秀吉安国寺宇喜多島津
西:(長浜駅方面へ)小西
南:(八幡神社方面へ)石田正継(パパ)→磯野(近習)→真田昌幸(幸村のパパ)
北:(高速道路方面へ)石田正澄(兄)→大谷直江石川(娘婿)

合計で14人でした。宇喜多探せなかったのが悔しい…(つД`)
島津に至っては、観音寺方面から来て街に入る300m程手前のY字路のところらしいです。Y字路を右に行くと街中バス通り。左に行くと八幡神社裏の農道です。
車で石田会館に行かれる場合は、交差点から入って行くとかなり細い道なので、農道から行くと楽です。長浜方面から来た場合でも石田町に入る手前の交差点で右折して、次の信号のない交差点を左折すると、その道が八幡神社裏の農道です。八幡神社の目印は、真田昌幸の街灯です。標識もありますけどね(笑)
今後行かれる方の参考になれば幸いです。

撮影:07.11.25

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やっと辿り着いたというべきか佐和山城。まずは散策開始☆

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佐和山城大手口。
彦根市街からは佐和山を挟んで反対側になります。奥の雑木林の所まで行ってみましたが、途中で道が消えていました。土塁の跡とかもこの辺だとけっこう残ってました。

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後ろの山が佐和山です。龍潭寺前の駐車場からパチリ。

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龍潭寺と清涼寺の間にある佐和山(東山)ハイキングコース入口。
進むと龍潭寺の山門があって、そこをくぐって奥の墓地を通り過ぎると山道が現われます。

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入り口からすぐ左側にある石田三成像。
その隣りに石田家臣供養の観音像もあって、手を合わせてから登山開始。

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塩硝櫓跡。
調べたら火薬庫かなんかっぽい。ここまでの途中の写真、あまりにしんどくて撮り忘れたorz

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本丸跡到着。やっとここまで来たのね…感無量。

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佐和山史跡略図。あまりに略図すぎて笑いが…。

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萬霊供養地蔵尊。でいいのかな?石田家家中はほぼ全滅だしね…(-人-)ナムナム

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佐和山から見下ろす彦根城。ホントに近いですね〜(^^;)

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現存する唯一の本丸石垣跡。
と聞いていたんですが、2005年に他の石垣も発見されたそうです。
発掘調査はまだ続いているのかしら?いつかそれも見学出来ると嬉しいな。

車を置いてた関係で国道脇の方へは降りていかなかったので、千貫井戸は今回諦めました。
水の手や二の丸方面の写真も撮ってなかったので、ここはやっぱりリベンジあるのみですよね!竹林も撮ってないことに今気づいた…抜け多すぎ(^^;)
どうせなら次回行くなら龍潭寺の左側にある大洞弁財天から登って、国道側に降りて石田屋敷前を通って帰って来るのが理想的かもしれない(笑)

撮影:07.11.25
参考サイト:近江の城郭内佐和山城

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井伊家の菩提寺として有名な清涼寺。ですが、島左近の武家屋敷跡としても有名ですね。

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拝観謝絶なので、門から失礼してこそっと撮影。
後ろの山が佐和山です。

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清涼寺七不思議のひとつ、たぶの木。

なんで七不思議があるねん!と思いながらも調べてみましたよ。
「うなる門」
大晦日の晩にうなる門。もともとは左近の邸の表門だったそうで、風もないのに低く唸り続けるのだそうな。安永5(1776)年に焼失して現存はしません。
「晒しの井戸」
裏山の井戸で、この水によごれものをつけておくと美しく洗われる。茶の湯にも使われたそうなので、それだけ綺麗な水だったのかな?
「血の池」
佐和山落城のとき生首を洗った池。……orz
「木娘」
本堂前にある500年余のタブの大木が娘に化ける。
流れた血を多くすったたぶの木が、夜な夜な女に化けるそうな。
「黒雲の怪」
彦根城で武具の虫干しをすると佐和山から黒雲が走り雨を降らすという。
「ひとり鳴る太鼓」
不吉なことがあると本堂の太鼓がひとりでに鳴る。
「小姓の出現」
書院の手洗い石は三成時代のもので、暗闇の中から小姓が出てきて水を汲んでくれる。
この他にも、確か左近の南天の木とかいうのがあって、木に触れると腹痛を起こすとかあったような。あと壁に月型(三日月?)の陰がうるつ居間なんてのもあったような…7つじゃないじゃん!(苦笑)
ともあれ、いわくの多いお寺ですな。



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佐和山・石田三成屋敷跡。
場所は、線路を渡ったら清涼寺の方に曲がらずに、まっすぐ坂を登っていく。
道なりに崖沿いを行くと正面が行き止まりになり、その手前に住宅街へと通じる右折路があります。その右折路の曲がり角のところに小さな石碑があります。
清涼寺からでも徒歩10分かからないので、行ってみては如何でしょうか?

撮影:07.11.25

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佐和山城にあった各城門。それぞれが移築されて残ってるというので訪ねてみました。

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龍潭寺山門佐和山城城門
と、色んなリーフレットに書いてあるんですが、住職の方に確認したら現物ではないそうです。
移築されたのは本当だけど、なんらかの理由で一度消失し、それを復元したものだそうな。
ちょっとショックうけて佐和山の陣鐘だったと云われる梵鐘写してくるの忘れたorz

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お庭は素晴らしいので是非見学すべし。

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見えるかな〜佐和山城にあったといわれる襖絵。こそっと…ね(^^;)



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宋安寺総門佐和山城大手門
彦根キャッスルロードにある有名なお寺ですね。移築したのがばれないように赤く塗ったので、赤門とも呼ばれてるそうです。馬に乗ったままでくぐれるように造った為に、こんなに門が高いだそうで。云われてみれば高いなぁ(笑)

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左:石碑  右:礎石跡
道路整備の為に、若干後ろに移動させたそうです。



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高源寺総門佐和山城裏門
この門だけちょっと離れた多賀町にあって、その上かなり山間にあるので車で行かないとちょっと厳しいかもしれません。裏門だけにこじんまりとした造りですが、しっかりとした重厚さがあって、400年の趣を感じさせます。

この三門以外だと、不確定ながらも佐和山の城門ではないかと云われているのが、彦根城の太鼓門櫓。それと、飄々庵の茶室というのも城門を利用して造られたと伝えられているそうです。こういうのって、全部口伝で残ってるんでしょうかね?興味は尽きません…。

撮影:07.11.25

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築城400年祭という事で、ついでに立ち寄ってきた彦根城(なんのついでかは聞いちゃダメ)。

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お目当てその1、佐和口多聞櫓。
名前の通り、佐和山城にあったものを移築したと云われています。残念ながら復元ですけど、それでもこんなのがあの山の上にあったかと思うと不思議な感じがします。
ってあー!今調べたらこれ佐和口多聞櫓じゃないじゃん!「佐和口に向かって左翼に伸びており」って、写真、これ右翼だよorz
左翼の写真撮ってない……・゚・(ノД`)・゚・
右翼は開国記念館で、こっちが復元されたもののようです。下調べの重要性が身に染みた…。

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天秤櫓。
右側の石垣と左側の石垣で、その石の積み方が違うので作った時代が異なるというのが一目で解ります。とか云いながら右側写ってないし(苦笑)長浜城の大手門の移築だと伝えられています。

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天守。
四大国宝のひとつですね。中の造りとかとっても面白かったんですけど、いかんせん大混雑でゆっくり見学すること叶わず。入場にも1時間待ちって!

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大手門側から出たところの御堀端。
でかいなー広いなー無駄に立派だな(苦笑)この石垣のどれぐらいが佐和山の石なのかな〜とついつい考えてしまいました。
人が多すぎて撮れなかったんですが、太鼓門櫓も佐和山の城門じゃないかと云われてるそうです。
行けなかった西の丸三重櫓は小谷城の天守じゃないかと。
こうしてみると本当に継ぎ接ぎの城……まぁ、色んな視点で楽しめる城ではありますよね。
今度は観光時期ズラして来よう。人酔いしたorz

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お目当てその2、ひこにゃんとみつにゃん(笑)
しまさこにゃんも見つけたんですが、ちょうど休憩に向かうところで撮影出来ませんでした。
ひこにゃんのパフォーマンスは神がかっていると思いましたよ。あの着ぐるみ姿でダッシュにターンに連続ポーズ!私も着ぐるみバイトしたことがありますが、あそこまでキレの良い動きは出来ません。てか無理。ひこにゃん(の中の人)マジ尊敬します!(笑)



ここからはオマケ。

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キャッスルロードにある酒屋、林屋さん。
日本酒の「石田三成」「鬼の左近」やワンカップのひこにゃん・みつにゃん・しまさこにゃんセットも置いてる嬉しい酒屋さん。近江の名酒やお漬物等も豊富でオススメです。「金亀」最高!(笑)

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花しょうぶ通りの戦國丸さん。
彦根関連に留まらず、戦国武将全般のグッズが豊富な町の駅です。
元がお風呂屋さんを改装したものなので、入り口が西軍と東軍に分かれているのも面白いし、中のインテリの脱衣棚も西軍と東軍の武将の家紋になってます。西軍しか撮ってないのはもう仕方がないので諦めてください(苦笑)彦根城でのイベントの情報も豊富だし、戦国ファンの憩いの場でもあるので、お近くに行かれた場合は立ち寄ってみては如何でしょう。


撮影:07.11.24-25
参考サイト:近江路観光ガイド  ひこね街の駅  酒売処林屋

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車を駅の駐車場に置いて、歩いて探索〜。

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駅前のロータリーで羽柴秀吉と佐吉の像発見!
有名な三献茶の逸話の再現ですな。秀吉公ってばちゃんと鷹狩の衣装なんですね。寺小姓の佐吉が想像より大きい。13、14歳ぐらい?

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豊国神社の鳥居くぐったら、すぐの所に加藤清正発見。
あーそうね。そういえば清正も祀られてたんだっけ(棒読み)

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本殿。旅の無事を秀吉公にお祈りします。決して清正にお祈りしてる訳ではありません(悪)

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境内にある虎石。
えー…説明いります?(苦笑)冗談です。以前ほどは清正嫌いじゃなくなりました(^^;)
元々は長浜城の庭石として清正が寄贈した石です。これを大公はいたくお気に入りでした。
その長浜城が廃城になる時に、この石は大通寺に移されましたが毎晩虎の声で鳴き叫ぶので、大公を祀るこの豊国神社に移したところ静かに鎮座したそうです。
そんなに大公が好きなら三成憎しで東軍につくなよ清正…(--;)え?違う?(苦笑)

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そんな訳で長浜城到着。
ここから秀吉も三成も出世して行ったんですね。
天守閣からの眺めも素晴らしかったですよ〜ホントはそこから佐和山方面の写真撮りたかったけど、逆光でムリでしたorz
中は歴史博物館となっていて、けっこう見ごたえありました。ただ観光客多くてゆっくり見てられなかったのが残念。売店では秀吉と三成関係の資料本が充実してました。時代屋さんのグッズも委託販売してましたよ〜何気に品揃え豊富です。
城外は公園になっていて、昔の面影が残るようなものは何も無いのがちょっと残念かな。
井戸は残ってるみたいだけど、今回は時間が無かったのでまたいつか、ですね。


撮影:07.11.25
参考サイト:長浜城歴史博物館

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行った理由。ヘ○レなところがなんとなく愛しい長束正家の居城なのと、4万石の元ネタの城だから(笑)
まず先に、この城ってば持ってる地図のどれにも城址として存在してないんですけど!
かろうじで1冊に古城山〜って表記があっただけ。マップファンで調べても郷土の森ってしか書かれてないし。でも住所が古城ヶ丘で、隣りの中学校が城山中って名前だから、多分ここであってる…んだよね?といういさかか不安要素満載のまま、とりあえず行ってみました。
※隣り駅の水口城とは別です。あっちは1600年以降に建てられたものだから。

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古城山案内図。
中学校横の公園に駐車して、案内図の確認。水口城の名前すらない。でも古城山…てか、本当の駐車場、反対側だし。面倒なのでこのまま登ってみることにしました。

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山道…というよりは遊歩道。左側は多分これ土塁だよね?

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石垣発見!結構な幅で残ってました。

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山頂から伊吹山方面への眺望。

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やっとみつけた水口岡山城の説明書き。

ゆっくり遊歩道を登っていたら、途中で朽ちた看板が落ちていて、よく見れば消えかけた文字で「石垣見学コース」の文字が。確かに道が二手に分かれていたので、崖の方へ向かう細い道を進むと、そこは崖じゃなく石垣の残骸でした。けっこうしっかりと残っていて一見の価値あり!ぐるーっと道なりに石垣の下を通って、回り込んで石垣の上に辿り着くとそこは頂上でした。何にも説明ないけど多分本丸跡?あー縄張図見たいorz
頂上には阿迦の宮というお堂があって、長束の霊を祀ってるそうな。
でも確か長束ってば、関ヶ原で逃げたはいいけどこの城は既に落とされてて、途中で自害したのよね。でもってその首は三成と一緒に京都の河原で晒されて…その後どうなったんだっけ?まぁ祀ってもらえる程には善政敷いてたって事よね。
お堂の横に小さな休憩所があって、そこに何故か書類ケースがおいてあったんですよ。
引き出しを開けてみたら、あるわあるわ甲賀市水口関連の観光リーフレットの山が(笑)
その中のガイドマップにはちゃんとこの城址の説明もありました。先に駅かどっかでこのガイドマップを手に入れてくるべきでしたわ。リーフレットと一緒に来訪ノートもあったので、ついでに記念カキコしてきました(笑)往復1時間ぐらいでしたので、行かれる方は運動靴オススメです。


この水口岡山城ですが、三成が4万石でここに赴任し、その禄の半分で左近を召抱えたという有名なエピソードがあるのですが、今のところどの資料を探しても三成がここに居た資料が見つかっていないそうなんです。一般には賤ヶ岳の件で加増され、4万石の小大名になったとされていますが、それを軸にすると今度は左近の召抱えた時期が合わない(その時点で左近は筒井の家臣)。
城は中村一氏が1585年に築城し、その後は増田長盛、長束正家が赴任し1600年で終了。その間15年。賤ヶ岳の戦いが1583年。三成が佐和山城に入ったのが一番有力な説で1589年頃。一応1590年までは中村が、1595年までは増田が居たハズなので、確かに三成が入った痕跡が無い。無理やり中村と増田の間に入れたとしても、多分任期は半年かそこら。
そんな訳で、甲賀市としては不確定なのでリーフレットや紹介その他から全て三成の名前は削除しているそうです。有名だからって真実とは限らないのが歴史の不可解で面白い所ですよね。エピソードが間違ってるのか、それとも年号のどこかに偽りが混じってるのか。詰まるところは、結局三成の資料が少なすぎる件に行き着く訳ですよ!(苦笑)


オマケ。
shiseki 189
安土城址。
下調べしないで行くもんじゃないなと。
城址と聞いていたので早朝に行ったら、有料で開門時間あるって貴方!Σ( ̄□ ̄;)
この後のスケジュールもあるので泣く泣く門から中だけ撮って撤退。リベンジしてやるー!
せっかく紅葉綺麗だったのにぃぃぃぃorz


撮影:07.11.26
参考サイト:甲賀市観光ガイド

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意図せずして浅井長政巡り〜……まったく関係ないんだけど、長政って名前多いよね(笑)

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姉川。

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姉川古戦場跡地の碑と慰霊碑及び説明書き。

関ヶ原方面からR365を走ってくると、川の直前で道が分かれ、2本並んでる橋の旧道の方の橋の袂に慰霊碑がありました。図入りの解説がとっても解り易くてナイス♪
ここから小谷城までは10kmほどです。横山城までは3kmないと思う。この距離を小谷城まで撤退していった浅井の心情はいかほどなんでしょうね。夕暮れが物悲しかったです。
ちなみにここから長浜城までは8kmぐらいですが、姉川の戦いの時はまだ存在してません。
戦に勝って小谷城を賜った秀吉が不便だからと、水路も陸路も使える便利な今浜に新しく城を造り、信長から一字貰って長浜と名を改めたのが今の長浜城です。
うん、後でも書くけど、小谷城の立地凄すぎ。あれじゃ不便だわ…でもお陰で姉川の合戦後3年は守れたけど。そう考えると山城の堅固さはやっぱり優れてるのよね。



姉川から15分掛からずに小谷山の麓に到着。駐車場にあった看板を確認すると、どうも上まで車で行けるらしい。でも「松食虫の被害の為、車両立入禁止」の札が。2kmも登山するの嫌だ…と思ってたら降りてくる車がいるではないですか!
レッツゴー☆

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城址までの登山道。
車一台が通れる道が2km続きます。崖側にずーっと桜と紅葉の並木が植えられていて、紅葉がとっても綺麗でしたよ〜♪で、車で登って行った訳ですが、何人かはちゃんと歩いてました。けど、上まで着いてみたら少し広くなった場所に車がズラリと路駐してありました。ここが一応終点で、駐車場も兼ねてるらしいです。管理人らしきオジサンが2人いたけど、特に注意するわけでもなく普通に管理…見張り?してました(^^;)

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終点の駐車場横にあった地図。
この写真見ながら探索してきました〜…見て解るとおり、更に登山です。

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手始めに金吾丸跡へ。登ってみたけど特にはなんも無し。
遠くに見える琵琶湖の景色が美しかった…。ここが見張り場だったんでしょうか。

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馬洗い池。

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赤尾屋敷跡。

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赤尾屋敷跡にある長政公自刃之地の碑。

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桜馬場。夕日に浮かぶ紅葉がもう…(*´Д`)

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桜馬場にある浅井一族供養塔。

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大広間。

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大広間の突き当たりに見えている本丸の石垣。

結局、時間的問題と体力で、本丸跡地の上までしか登れませんでしたorz
せめて山王丸跡地までは行きたかったな…。
馬洗い池は、こんな山の上なのに!と思うほど豊富に水をたたえてました。山城にとっては水は貴重品ですから、きっと重宝したんでしょうね。
赤尾屋敷跡へはちょっと道をそれて林の奥深くに分け入って行くんですが、その分かれ道のトコにあった標識に…「浅井長政ファンの聖地」って文字が…聖地って…笑い半分に云うのはいいけど、書かれると萎えるorz
ところで自刃の地って事は、これをお墓として捉えても良いものなんでしょうか?
供養塔とは別にこうしてあるのだから、単なる碑として考えるのも何となく…ねぇ。
大広間は、本当に広かったです。こんな山奥でこれだけのスペースを確保する為に、どんだけ整備してどんな建物が建ってたのかちょっと気になりました(笑)
山の起伏を利用して、うまく作ってあるもんだなぁと本丸の石垣や武家屋敷跡の石組みとか見ながら、革めて山城の巧みさと重要性に気づいてみたり。
でもやっぱり山城は体力的にキツイ〜orz



麓の駐車場から直ぐ見えるトコに、浅井の菩提寺である小谷寺がありました。

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夕暮れ間近だったのでおどろおどろしく見える…でも、こじんまりとした立派なお寺でしたよ〜。

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小谷城戦国歴史資料館。
ぶっちゃけ、百名城スタンプ押してる人以外行かなくても良いような気がする資料館。資料少ないよ…というより、閑古鳥鳴きすぎ…(--;)
こっちよりは浅井歴史民俗資料館の方が観光地化してるので、お土産その他希望の方はお薦めします。でも自分は浅井の方には行った事ないんですけどね(苦笑)

撮影:07.11.24
参考サイト:湖北町観光案内  長浜観光協会  

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