戦国武将石田三成を中心に、史跡巡りと戦国小説・資料等の紹介。西軍贔屓で凄絶に偏ってます♪
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Author:藤之宮悠生。
生息地:出羽庄内藩
趣味:日帰りドライブ
    (往復約600km圏内)
座右の銘:あるがままに。

戦国無双2から戦国時代&武将に興味を持ったので凄絶に西軍贔屓。
無双武将では石田三成、島左近、真田幸村、前田慶次…+イカ(酷)
モ武将&史実武将では佐竹義宣、結城秀康、小西行長、大谷吉継、羽柴秀長、真田信幸、伊達政宗、池田輝政、上杉景勝、宇喜多秀家…増えてるし(苦笑)


普段から道の駅スタンプラリーで走り回ってるので、それに史跡巡りを足したため大変な事に。最近行動範囲がかなり広がってきた。
その分ガソリン代がイタイデス…orz

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本多の狐の倅の墓が近場にある、と聞いて、思わず足を運んでしまいました。
本多の倅と云えば、三成が捉えられた時に身柄を預かった人ですな。でもって三成を怒らせて最後まで口を聞いてもらえなかった人…という間違った認識が頭にインプットされてるのですが…でもまぁ、後年の彼を思えば、ある意味立場的にも性格的にも一番三成と似ていた人なんじゃないかな、と思う訳ですよ。なのでなんとなく気にかかる御仁なのです。
そんな訳でレッツ御墓参り(笑)

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左:本多親子(正純・正勝)終焉の地碑。右:正純公の墓碑。

正純公の失脚には、うちのご先祖も深く係わってるのでなんとなく気が晴れないというか、政治の駆け引きって本当に怖ろしいよね、というか…三成も正純も、結局は踏み台にされた感じが否めないのが寂しいです。極論言えば100人助けるために1人を切り捨てる的感覚?トカゲの尻尾切り?
庄内の加藤清正の墓に行った時も思ったけど、関ヶ原で勝ってもその後裏切られた(切り捨てられた)人のなんと多き事よ。でもって出羽は流刑地ですかー?八丈島よりマシですか?そうですかorz

場所は横手城の南側斜面に広がる住宅地の外れ。横手病院の裏から裁判所の前を通って細い道を登っていくと、左手に外堀跡が宅地の裏に見えてきて、そのちょっと先に案内板が出てきます。でもって道路から良く見えるので案内板さえ見落とさなければ簡単に辿り着けるかと。

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お墓の傍の水堀〜奥に道があるので、城址公園まで多分続いてるんじゃないかな〜とは思うけど、山道なので却下。横手城には車で戻って北側から向かいます。



そんな訳でついでに横手城へ。
ゴメン、佐竹家の支城って事ぐらいしか知らないです。

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左:大手門跡へ通じるつづら折りの大手道。右:大手門跡。

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二ノ丸跡に建てられた模擬天守閣。

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左:天守閣から見下ろした本丸跡。手前の出店のある辺りが二ノ丸武者溜まり。
右:本丸の城址碑。朝倉城になってますね。

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城の東側にある牛沼。天然の外堀です。

本丸の周りをぐるっと帯曲輪が回っていたり、本丸と二ノ丸の間に土塁が残っていたりと、けっこう見所満載です。大手道の七曲がり坂は、上から覗いただけなので出発地点が何処なのか良く解りませんでした。三ノ丸跡は運動公園になっています。
けっこう規模の大きい城址で絵図を見る限り立派なのに、なんで土塁ぐらいしか残ってないのかな〜と思ったら、戊辰戦争で庄内藩に焼き討ち喰らって負けてたんですね……スミマセンorz
戊辰戦争の時の庄内藩は鬼ですから。火力に物言わせて負け知らずでしたから。
会津藩さえ負けなければ降伏なんてしなかったのに…いや、でも同盟藩の為だけに戦い、同盟藩の負けを受け入れて自分らも戦いを放棄するその心意気こそが庄内藩の信念!って話ずれてるし!詳しく知りたい方は「新微組」で検索してみてね〜(笑)

参考サイト:横手市観光情報
撮影:08.04.25

テーマ:史跡・神社・仏閣 - ジャンル:写真

秋田郊外にある帰命寺。
ここに石田三成の墓があると聞き、あまりの胡散臭さにとりあえず伝承を調べてみました。

簡単に説明すると、関ヶ原での敗戦後、三成は侍臣三人と共に伊吹山を落ちのび会津へ逃れたそうです。そこからさらに出羽へと進み、暫く米沢に足を止め形勢を伺った後、慶長七年に佐竹義宣を頼って秋田に。佐竹義宣は三成の為に寺を建てて住居とし、表向きは京都の知恩院から名僧を招いたと称したんだそうな。
また、後年書かれた佐竹家の調書には、「帰命寺の開山・木食唱岳長音上人は石田三成の弟で、ある事情で出家し僧になった人であり、佐竹義宣に招かれて当地に参りました。不審の点はいささかもございません」との意味の報告がなされたとあります。ここでは帰命寺に残る上人の墓は、石田三成本人のものではなく、その弟のものとされているそうです。

そんな訳で、石田三成=木食唱岳長音上人のお墓がここにはあるそうなんですが……ぶっちゃけどれがそうだかまったく解りません!(苦笑)

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多分これらのうちのどれかで、墓名を読む限りでは左の写真か、もしくは右の写真の左から2番目ではないかと思われます。何故なら、判読出来なかったのがこの2つだけだから…(^^;)
他は別の和尚様のお名前が伺えましたので。でも更に戒名してたら解りません!(苦笑)
どっかの資料で、三成の弟ではなく、妾腹の子ではないか?という説もあって、とりあえず当人説は切り捨てるとしても血縁者であった事は確かなのかな〜と。じゃなかったら佐竹の殿様が援助する理由が解らなくなるし。

場所は秋田市八橋運動公園、陸上競技場裏徒歩3分。
住宅街のど真ん中で道が狭いので、陸上競技場裏に路駐でOK。
説明碑もなんもないので、訪問される方は自力で頑張れ〜(笑)

撮影:08.04.25



真田幸村の関連、って事で、佐竹義宣の弟、岩城(佐竹)宣隆に嫁いだ幸村の娘、お田の方(顕性院)の御墓参りに行ってきました。
場所は秋田市岩城町にある妙慶寺。

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妙慶寺総門。

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きちんと整備され保護されている墓所。手前のは供養塔。

お田の方の母親は、豊臣秀次の娘の隆性院。幸村の正室は吉継の娘なので妾腹ですな。
大阪の陣で逃れて町屋に隠れていたところを見つかって捕まるも、信之の執り成しで大奥勤めになるも、3年の奉公で暇を出され解放。その後とある邸で奉公していた時に、上洛していた佐竹義宣と岩城宣隆の目にとまり、なんやかんやで宣隆の側室になったらしいです。のちに長男(岩城藩2代当主)を産み正妻に。両親共に偉大な血を引くだけのことはあるのかもしれませんね(笑)
ちなみに、子孫の方々が残っている上に、豊臣秀次の血も引いているので、子供の一人がのちの豊臣家(三好家)の後継者にもなっているらしく、真田家と三好家と岩城家で手厚く保護してありました。良い話だ…。

撮影:08.05.13

テーマ:史跡・神社・仏閣 - ジャンル:写真

近場に城があったと最近になって知りましたorz
いや、うん。マジで千秋公園は知ってても久保田城って知らなかったんだ…(遠い目)

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復元された本丸正門の、正面からと裏から。

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説明書き。

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同じく復元された御隅櫓。中は資料館です。

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パネル展示の一部。三成ハケーンw



久保田城址敷地内、二の丸跡にある佐竹資料館。

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正面入り口。

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義宣の鎧。

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旗印。


佐竹氏については正直、三成の友人って事ぐらいしかまだ勉強してません(苦笑)
佐竹資料館の方には代々の藩主の鎧やら道具やら色々展示されてて、まぁまぁ楽しめるかと。館自体は狭いですけどね(^^;) 御隅櫓の方も歴代藩主のパネル展示や、久保田城の模型なんかがあって、後ビデオ上映が幾つか用意されています。平城なのでそんなに高さはありませんが、最上階からの展望は結構良いです。天気が良ければ男鹿半島まではっきり見えるかと。桜の名所なので春に訪れるのをお薦めします♪
でもまぁとりあえず、ちゃんと勉強しなおしてからもう1回来よう。うん。
てか、ここ誰も観光客居ないし!(苦笑)


撮影:07.10.17
参考サイト:久保田城公式サイト

テーマ:史跡・神社・仏閣 - ジャンル:写真

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