秋田郊外にある帰命寺。
ここに石田三成の墓があると聞き、あまりの胡散臭さにとりあえず伝承を調べてみました。
簡単に説明すると、関ヶ原での敗戦後、三成は侍臣三人と共に伊吹山を落ちのび会津へ逃れたそうです。そこからさらに出羽へと進み、暫く米沢に足を止め形勢を伺った後、慶長七年に佐竹義宣を頼って秋田に。佐竹義宣は三成の為に寺を建てて住居とし、表向きは京都の知恩院から名僧を招いたと称したんだそうな。
また、後年書かれた佐竹家の調書には、「帰命寺の開山・木食唱岳長音上人は石田三成の弟で、ある事情で出家し僧になった人であり、佐竹義宣に招かれて当地に参りました。不審の点はいささかもございません」との意味の報告がなされたとあります。ここでは帰命寺に残る上人の墓は、石田三成本人のものではなく、その弟のものとされているそうです。
そんな訳で、石田三成=木食唱岳長音上人のお墓がここにはあるそうなんですが……ぶっちゃけどれがそうだかまったく解りません!(苦笑)

多分これらのうちのどれかで、墓名を読む限りでは左の写真か、もしくは右の写真の左から2番目ではないかと思われます。何故なら、判読出来なかったのがこの2つだけだから…(^^;)
他は別の和尚様のお名前が伺えましたので。でも更に戒名してたら解りません!(苦笑)
どっかの資料で、三成の弟ではなく、妾腹の子ではないか?という説もあって、とりあえず当人説は切り捨てるとしても血縁者であった事は確かなのかな〜と。じゃなかったら佐竹の殿様が援助する理由が解らなくなるし。
場所は秋田市八橋運動公園、陸上競技場裏徒歩3分。
住宅街のど真ん中で道が狭いので、陸上競技場裏に路駐でOK。
説明碑もなんもないので、訪問される方は自力で頑張れ〜(笑)
撮影:08.04.25
真田幸村の関連、って事で、佐竹義宣の弟、岩城(佐竹)宣隆に嫁いだ幸村の娘、お田の方(顕性院)の御墓参りに行ってきました。
場所は秋田市岩城町にある妙慶寺。

妙慶寺総門。

きちんと整備され保護されている墓所。手前のは供養塔。
お田の方の母親は、豊臣秀次の娘の隆性院。幸村の正室は吉継の娘なので妾腹ですな。
大阪の陣で逃れて町屋に隠れていたところを見つかって捕まるも、信之の執り成しで大奥勤めになるも、3年の奉公で暇を出され解放。その後とある邸で奉公していた時に、上洛していた佐竹義宣と岩城宣隆の目にとまり、なんやかんやで宣隆の側室になったらしいです。のちに長男(岩城藩2代当主)を産み正妻に。両親共に偉大な血を引くだけのことはあるのかもしれませんね(笑)
ちなみに、子孫の方々が残っている上に、豊臣秀次の血も引いているので、子供の一人がのちの豊臣家(三好家)の後継者にもなっているらしく、真田家と三好家と岩城家で手厚く保護してありました。良い話だ…。
撮影:08.05.13