真田史跡巡りをしよう!という事で、まずはお約束の上田駅前幸村像の前で友人と待ち合わせ。

とっても解りやすい目印で良いわ(笑)意外に顔が男前で若いです。
友人はどちらかいうとBASARAの幸村ファンで、私は無双の幸村ファン。
しかし私の今回の最大の目的は幸村の兄、信幸の足跡辿りだったりして(笑)
更には幸隆や昌幸も辿れたらオールオッケー!って事で、真田親子三代巡りをして参りました♪
って事で、駅で信州上田四季絵巻なるパンフレットと上田城の地図を手に入れてさっそく移動。

街のいたるところで真田十勇士の旗が揺れ、下水の蓋まで六文銭。スゴイ…。

左:二の丸橋。右:橋の真下の二の丸空堀。
二の丸橋は食違い虎口で、通ると若干の駐車スペースがあります。空堀はケヤキ並木の遊歩道になっていて、南側にある駐車場からグルッと続いています。橋の袂に上への上り口有。位置的には二の丸橋は城の東側にあって、駅から歩いてくるとここに辿り着きます。

東虎口櫓門。こういうの見ると、ああ、観光地だな…と生温い感傷が湧き上がりませんか?(笑)

本丸堀。想像以上に深くて広いです。躑躅がちょうど見頃でした。

左:東虎口櫓門と北櫓。右:門の向かって右側に据えられた「真田石」。
本丸堀の上に架けられた橋の上から撮影。
真田石は、信幸が松代城へ移封になる時に持って行こうとしたそうなんですが、何をやってもどうしても動かなかったという伝説の大石。うん、それは良いんだけど、何で持って行こうとしたのかがそっちの方が謎なんですけど信幸兄ちゃん?(苦笑)

左:北櫓の裏側。右:駐車場から見上げた南櫓。
南櫓側から上に登れて、南櫓→東虎口櫓→北櫓と中を通って見学できます。

ついでに説明置いときます。復元じゃなくて修復だったのね。

門から入って正面にある真田神社。勉学の神様です。なんか解る気がする(笑)

神社の敷地内に幾つかあった「酒樽茶室」なるもの。
なんですかコレ?なんで上にすり鉢乗ってんの?

神社裏手の真田井戸。
城内唯一の大井戸で、実はこの井戸には抜け穴があって、太郎山の麓や藩主居館まで繋がっていた、という伝説があるそうです。戦国浪漫ですな(笑)

左:本丸跡と見事な白藤棚。右:北東隅櫓の礎石。

左:西虎口櫓門跡から見上げた西櫓。右:北虎口門跡。
西櫓は信幸が松代に移封になった後に入った仙石氏が建てたもので、城内唯一の現存櫓です。
上田城は、関ヶ原後に一度破却されているので、現在残っている遺構は信幸や仙石氏のものです。それでも堀などの縄張はそうそう変わるものでもないし、在りし日の面影を偲ぶことが出来る…ハズ(笑)
こどもの日だけあって、本丸跡で市民祭が行われていて、ゆっくりと見学出来なかったのが少し心残りです。他の隅櫓跡の確認や、上田藩主住居跡も行ってないし。次回リベンジって事で。
無双ファンとしては稲姫の名前の方が馴染み深い、信幸の正妻小松姫の御墓参りにと、上田城から車で3分の芳泉寺へ参りました。

芳泉寺総門と鐘楼。
小松姫は徳川四天王の本多忠勝の娘ですが、家康の養女という形をとってから信幸に嫁いだので、お寺の至るところに真田の六文銭と、徳川の葵の御紋、仙石氏の寛永通宝紋を見る事が出来ます。

左:小松姫の御墓。右:仙石政俊氏霊廟。
お寺の本堂の左側から裏手に回ると、墓所を囲む塀が現われその一角に木戸があって、「見学者はご自由にお入り下さい」の文字が。いいのかな〜と思いながら扉を開けて入るとすぐに小松姫の墓石がありました。
仙石氏の霊廟はもう一つ更に奥の塀に囲まれた場所にあるらしく、小松姫の場所から奥にある大きな門を自分で押し開き、もう一つ現われた門の脇にあった木戸から塀の中へ。
その土地その土地の藩主へのご挨拶は、すでに恒例となっているふしがある自分。
素晴らしい史跡を見せて頂きました。ありがとうございます。
オマケ。

芳泉寺のベンチ。いや、あまりにも可愛かったんで(笑)この他にも、芳泉寺の境内はなんていうか…前衛的なアートというか、独自の仏教感というか、多種多様な石仏から石塔、オブジェが満載です。言葉ではとてもじゃないですが言い表せませんので、是非ご自分の目でご覧になってみてください。ぶっちゃけ凄すぎて笑いました( ̄▽ ̄;)
参考サイト:
上田市観光情報撮影:08.05.05
真田巡り:
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