真田巡り、最後は真田信幸(信之)の墓所巡りです。
いや、これが最大の目的だったのよ実は(笑)信幸兄ちゃん大好きです♪
信幸は関ヶ原での親子決別の時に改名して信之になりました。個人的には真田三代としての結束の固い親子像が印象深いので、あえて『信幸』の表記にしてあります。だからどっちでも間違いじゃないんですよ〜っと。って誰に言い訳してるんだ自分?(笑)
長国寺。

松代真田藩主代々の菩提寺です。
海津城からは車で5分。車1台がやっとで通れる古い住宅街の奥にあるので要注意。

真田信幸霊屋。左:表門。右:宝殿。
通常はこの表門の所までしか見学できませんが、社務にご挨拶して300円支払うと中に入れます。中には信幸の宝殿の他に、4代藩主信弘の霊屋と、歴代藩主の墓所もありますので、どうせ行くならそこまで見学してきましょう。ちなみに+800円で宝殿の中まで見られるそうです。私たちは今回は諦めましたが、信幸夫婦の位牌が納められているそうな。
ところでこの宝殿、どこぞで既視感が……ああ、
政宗の霊廟か。あっちほど度派手ではないけれど、霊屋ってこういうもんなんでしょうか…唐破風っていうらしいけど、ってハデだろやっぱり(苦笑)
ちなみに建立は1660年ですが、昭和55年に解体復元したものです。

宝殿の奥にある、歴代藩主の御墓の入り口。

信幸の御墓。鳥居って…神様昇格ですか?

左:幸村・大助の供養碑。弟親子ですな。
右:昌幸・幸隆・信綱の供養碑。父&伯父さんズですな。
他にもずらっと歴代藩主の墓石が並んでいて、荘厳な感じがします。
真田一族が好きな方はぜひとも訪問してみて下さい。
大鋒寺。

大鋒寺は、信幸の隠居所書院跡に建てられたお寺で、『大鋒』は信幸の院号です。
場所は山本勘助の御墓の近くで、ここもまた住宅街の一角な上に道路が泣きたくなるほど狭い!
車3台でお見合いしちゃって他人の敷地内に逃げ込んだよ…orz

真田信幸霊屋。
93歳の天寿をまっとうした(すげー)信幸の遺言で隠居所は大鋒寺となり、書院のあった場所に霊屋を建てたそうです。中には信幸が信仰していた阿弥陀三尊が本尊として納められています。

信幸の墓所。
この時代には珍しく、信幸は荼毘に付され、その灰塚に建てられた墓碑だそうです。
って事はこちらが本当の御墓なんですね。ぶっちゃけこの時代の武将のお墓は分骨分骨であちこちにあるから、こうして正確に判明しているのは嬉しいです。
沼田、上田、松代と移封してきた信幸の終焉の地。
父と弟を豊臣方で失い、一人徳川方で生き延びた彼の心境とはどれほど苦しいものだったのでしょうか。それを支え続けた稲姫(小松姫)。彼の遺志を継ぎ、真田家の歴史を守り通した子孫達。彼ら一族の結束には興味が尽きません。
って事で次は沼田城と名胡桃城のある群馬攻略が目標かな(笑)
善光寺。

何故に善光寺?と思われるかもしれませんが、自分でもびっくりですよ。
単に謙信公と信玄公の位牌が見られるらしいよ〜との情報に足を運んでみただけなのに、こんなの見つけちゃいました。

真田家古塔。
歴代の藩主である真田家が善光寺を手厚く保護してきた証なんだそうです。
場所は写真の本堂の真裏の辺り。躑躅の散歩道を歩いていたら偶然見つけました。
これは…どうせなら挨拶していけって呼ばれたかな?(笑)

オマケで善光寺大勧進宝物殿の庭にあった表大門の旧鬼瓦。よく見ると武田菱紋なんですよ。
さすがに武田に縁のある地だけのことはあるわ。
ちなみに宝物殿ですが、あの英雄二人の位牌はもちろんですが、お薦めは様々な時代のその時々の権力者が、善光寺に送った書が一面に張られた屏風です。
私は羽柴秀長と豊臣秀頼、さらには一休和尚を見つけました(笑)古いと平安時代の物からありましたが、もしかしたらご贔屓の武将の書が見つかるかもしれませんよ〜♪
更にオマケ。

宝物殿前の池で甲羅干しする亀達。一匹だけスッポンが混じってるの見つけられますか?(笑)
そんな訳で、一泊二日の真田巡りはこれにて終了。大変有意義な真田漬けでした(笑)
感想としては、真田家全般が好きなら長野巡りは楽しいかと。ただ、幸村ファンなら九度山か大阪の方が史跡が多く残ってるのでそっちの方が良いと思います。昌幸と信幸のファンなら断然こっち(笑)
それプラス、やっぱり群馬も行かないとダメでしょ群馬!休みの調整難しいけど、この勢いで今年中には是非とも行ってみたいです。
撮影:08.05.06
真田巡り:
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