戦国武将石田三成を中心に、史跡巡りと戦国小説・資料等の紹介。西軍贔屓で凄絶に偏ってます♪
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Author:藤之宮悠生。
生息地:出羽庄内藩
趣味:日帰りドライブ
    (往復約600km圏内)
座右の銘:あるがままに。

戦国無双2から戦国時代&武将に興味を持ったので凄絶に西軍贔屓。
無双武将では石田三成、島左近、真田幸村、前田慶次…+イカ(酷)
モ武将&史実武将では佐竹義宣、結城秀康、小西行長、大谷吉継、羽柴秀長、真田信幸、伊達政宗、池田輝政、上杉景勝、宇喜多秀家…増えてるし(苦笑)


普段から道の駅スタンプラリーで走り回ってるので、それに史跡巡りを足したため大変な事に。最近行動範囲がかなり広がってきた。
その分ガソリン代がイタイデス…orz

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松島に別の用事で出かけたついでに、そういえば伊達蝋人形館(笑)があった気がする…って事で寄ってきてしまいました。史跡、というよりは資料館ですな。

みちのく伊達政宗歴史館
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入り口のパネルに、過去の政宗公の本日の行動が書かれているのが、なんか芸が細かいというか心遣いに溢れてるというかイイカンジです♪

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入場してすぐに、馬上の奥州筆頭がお出迎え。リアルすぎて笑えない…(^^;)

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幼少期の初々しい梵天丸様と、青年期の瑞々しい政宗様。

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家臣団の中にいた綱元さんと小十郎(笑) しかし何処を探しても成実は居なかった…orz

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最後は壮年期の大殿が正装でお見送り。

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外に出ると伊達かふぇがお出迎え。ここでずんだ餅(政宗公発案だって知ってました?)を食べるも良し、裏の海鮮市場で海鮮堪能するも良し!私は海鮮市場にホタテ食べに行きました(笑)

館内が撮影OKなので、これでもか!というぐらい写真を撮ってきたんですが、笑い半分キモイ半分で掲載を断念(苦笑)リアルすぎるのも問題ありでしょ〜でも蝋人形の時点でそれは言わない約束ですか?(^^;)
オマケ話ですが、入場すると子供向けの伊達政宗公の問題用紙が置いてあるんですよ。全10問。館内を一周すると全部答えが解る、というものなのですが、回る前に同行者と先に解いたんですよ。そしたら9/10正解♪唯一外した問題が、城築(堀の工事だったかな?)の際の責任者は誰だ?という問題でそんなの解るかー!ヽ(`Д´)ノ
子供向けというよりは、微妙にマニアック過ぎる気もしないでもないツッコミどころ満載の問題用紙なので、これから行かれる方は是非チャレンジしてみてください。大人ならモチロン事前回答で!(笑)

参考サイト:伊達政宗歴史館
撮影:08.06.18



続いて伊達家の菩提寺である瑞厳寺。蝋人形館からは徒歩3分。むしろこっちが松島の主役。
歴史はありながらもひっそりと朽ち果てようとしていた寺を、政宗公自ら縄張りを行って建て直した事でも有名ですな。

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瑞厳寺山門。政宗公が造らせた現存門です。

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参道。いつ来てもこの道見るたび感動するのはどうしてかしら?(笑)
前回来た時は政宗公に興味なかった時なので、ふつーに古寺参拝だったのよね(^^;)

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左:臥龍梅紅。 右:臥龍梅白。
政宗公が朝鮮出兵の折りに、兜に入れて苗木を持ち帰って手ずから植えたとされる梅ノ木。
これの株分けされた梅が、瑞鳳殿でも見られます。

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国宝の庫裡。いわゆる台所です。
料理が好きだったという政宗公なら、台所にもかなり拘ったであろうことは想像に容易いというか、楽しいですな(笑)

国宝の本堂も撮りたかったけど、ちょうど団体さんが来てて断念。本堂内は撮影禁止ですが、中をぐるっと見学できるので是非天井やら襖絵など堪能してきて下さい。派手好きな殿様の一端が垣間見えることでしょう♪
それと、宝物館である青龍殿はお薦めです。文化財指定の実物大伊達政宗甲胄像は必見!あと青龍殿の向かいから、庫裡の中の見学も出来ます。本殿からは廊下が続いていても庫裡の方へは行けませんのでご注意を。

参考サイト:瑞厳寺
撮影:08.06.18

テーマ:史跡・神社・仏閣 - ジャンル:写真

マイカーでどこまでも出かけて行く私にとってはかなりの死活問題ですよガソリン代(死)
どこまで値上がりする気でしょうか?困った困ったorz

プロフにもちょこっと書いてますが、史跡巡りよりも前から道の駅スタンプラリーに毎年参戦しているので、とりあえず今年も近場からちょこちょこ押してはいたんですが…さすがに請求額毎月万単位でくるのは如何なものかと。これは今年はスタラリは諦めろって事なのかしら…(遠い目)
ちなみに3年連続東北スタラリ完走。去年は北陸スタラリも完走。頑張ったよプレオ君(笑)
そのお陰でとりあえず東北6県なら地図ナシでもだいたいの場所は動けます。史跡の場所確認しながら、あーこの道の駅の近所だったんだ、って感覚でスイスイと。ぶっちゃけ部屋で地図見てルート確認してる時が一番楽しい(笑)
けど、ちょーっとこのガソリン代高騰はマジで痛い。ドライブに出かけない、という選択肢はないので(目的地よりも運転する過程が重要。ハンドル握ってる間が幸せ)悲しいかな道の駅巡りは今年はあきらめるしかない気がしてきました。その分、史跡中心で動こうかなと。
つまり単発×複数をやめて、長距離×単数にシフトチェンジ、ですな。
3月の雑記の時点で今年の目標にしていた場所で行ってないのは、いつの間にか鶴ヶ城と大館の幸村の墓だけになってたのには自分でも呆れましたが…さて、何処行こう(^^;)

そんな訳で新しい目標★
・秋田県大館にあるという胡散臭い幸村の墓。
・秋の鶴ヶ城&幻の神指原城跡地。
・沼田城&名胡桃城+その近辺。
・与板城址&その近辺。
・米沢の前田慶次足跡巡り。
・……三成の法要+賤ヶ岳。もしくはもう1回関ヶ原。ムリポ('A`)

盛岡城と多賀城は道の駅のついでに回ろうかなんて思ってたんだけど、たんに100名城のスタンプ欲しさだけなので保留。行けたらラッキーぐらいな気持ちで。
群馬と滋賀以外なら日帰りで行って来れる距離なので(いや、だって600km圏内だし…)日勤勤務の時に予定詰めれば大丈夫かなと。
にしても…これだけ動くんだったら、今年中にプレオ君15万km軽く突破してくれそうですな…てか16万行くな。確実に。新車予定視野にいれんと…orz
ってか出かけなきゃ買えるんじゃ?ってのは言わないでね!(苦笑)


そろそろ、お城友達が欲しくなってきた今日この頃。
うん、山城の一人歩きは寂しいんだ…(ローンリーロォーンーリー♪…orz)

テーマ:日記 - ジャンル:日記

真田巡り、最後は真田信幸(信之)の墓所巡りです。
いや、これが最大の目的だったのよ実は(笑)信幸兄ちゃん大好きです♪
信幸は関ヶ原での親子決別の時に改名して信之になりました。個人的には真田三代としての結束の固い親子像が印象深いので、あえて『信幸』の表記にしてあります。だからどっちでも間違いじゃないんですよ〜っと。って誰に言い訳してるんだ自分?(笑)

長国寺
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松代真田藩主代々の菩提寺です。
海津城からは車で5分。車1台がやっとで通れる古い住宅街の奥にあるので要注意。

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真田信幸霊屋。左:表門。右:宝殿。
通常はこの表門の所までしか見学できませんが、社務にご挨拶して300円支払うと中に入れます。中には信幸の宝殿の他に、4代藩主信弘の霊屋と、歴代藩主の墓所もありますので、どうせ行くならそこまで見学してきましょう。ちなみに+800円で宝殿の中まで見られるそうです。私たちは今回は諦めましたが、信幸夫婦の位牌が納められているそうな。
ところでこの宝殿、どこぞで既視感が……ああ、政宗の霊廟か。あっちほど度派手ではないけれど、霊屋ってこういうもんなんでしょうか…唐破風っていうらしいけど、ってハデだろやっぱり(苦笑)
ちなみに建立は1660年ですが、昭和55年に解体復元したものです。

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宝殿の奥にある、歴代藩主の御墓の入り口。

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信幸の御墓。鳥居って…神様昇格ですか?

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左:幸村・大助の供養碑。弟親子ですな。
右:昌幸・幸隆・信綱の供養碑。父&伯父さんズですな。

他にもずらっと歴代藩主の墓石が並んでいて、荘厳な感じがします。
真田一族が好きな方はぜひとも訪問してみて下さい。



大鋒寺
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大鋒寺は、信幸の隠居所書院跡に建てられたお寺で、『大鋒』は信幸の院号です。
場所は山本勘助の御墓の近くで、ここもまた住宅街の一角な上に道路が泣きたくなるほど狭い!
車3台でお見合いしちゃって他人の敷地内に逃げ込んだよ…orz

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真田信幸霊屋。
93歳の天寿をまっとうした(すげー)信幸の遺言で隠居所は大鋒寺となり、書院のあった場所に霊屋を建てたそうです。中には信幸が信仰していた阿弥陀三尊が本尊として納められています。

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信幸の墓所。
この時代には珍しく、信幸は荼毘に付され、その灰塚に建てられた墓碑だそうです。
って事はこちらが本当の御墓なんですね。ぶっちゃけこの時代の武将のお墓は分骨分骨であちこちにあるから、こうして正確に判明しているのは嬉しいです。

沼田、上田、松代と移封してきた信幸の終焉の地。
父と弟を豊臣方で失い、一人徳川方で生き延びた彼の心境とはどれほど苦しいものだったのでしょうか。それを支え続けた稲姫(小松姫)。彼の遺志を継ぎ、真田家の歴史を守り通した子孫達。彼ら一族の結束には興味が尽きません。
って事で次は沼田城と名胡桃城のある群馬攻略が目標かな(笑)



善光寺
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何故に善光寺?と思われるかもしれませんが、自分でもびっくりですよ。
単に謙信公と信玄公の位牌が見られるらしいよ〜との情報に足を運んでみただけなのに、こんなの見つけちゃいました。

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真田家古塔。
歴代の藩主である真田家が善光寺を手厚く保護してきた証なんだそうです。
場所は写真の本堂の真裏の辺り。躑躅の散歩道を歩いていたら偶然見つけました。
これは…どうせなら挨拶していけって呼ばれたかな?(笑)

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オマケで善光寺大勧進宝物殿の庭にあった表大門の旧鬼瓦。よく見ると武田菱紋なんですよ。
さすがに武田に縁のある地だけのことはあるわ。
ちなみに宝物殿ですが、あの英雄二人の位牌はもちろんですが、お薦めは様々な時代のその時々の権力者が、善光寺に送った書が一面に張られた屏風です。
私は羽柴秀長と豊臣秀頼、さらには一休和尚を見つけました(笑)古いと平安時代の物からありましたが、もしかしたらご贔屓の武将の書が見つかるかもしれませんよ〜♪

更にオマケ。
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宝物殿前の池で甲羅干しする亀達。一匹だけスッポンが混じってるの見つけられますか?(笑)

そんな訳で、一泊二日の真田巡りはこれにて終了。大変有意義な真田漬けでした(笑)
感想としては、真田家全般が好きなら長野巡りは楽しいかと。ただ、幸村ファンなら九度山か大阪の方が史跡が多く残ってるのでそっちの方が良いと思います。昌幸と信幸のファンなら断然こっち(笑)
それプラス、やっぱり群馬も行かないとダメでしょ群馬!休みの調整難しいけど、この勢いで今年中には是非とも行ってみたいです。

撮影:08.05.06

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テーマ:史跡・神社・仏閣 - ジャンル:写真

松代城址(海津城)から徒歩3分。てか寧ろ城下というよりは隣りにある施設群ですな(笑)

真田宝物館
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一言で言えば、真田のお宝屋敷?ってまんまですね(笑)
想像以上に大きな展示館でちょっとビックリ。
関ヶ原で西軍につくわ、大阪で正面から喧嘩売るわ、徳川に楯突いた真田家のお宝資料がこれだけ残ってるのは、徳川方についた信幸がこっそりこっそり真田家のご先祖様から自分達の代以降も、手紙だの資料だのなんだの隠して残しておいてくれたからです。それを代々の御当主が受け継いでくれたので、こうして真田家の歴史がまるっと残って私たちが拝むことが出来てる訳ですよ。流石だ信幸!素敵だわお兄ちゃん!
どんなものがあるかは是非、ご自分の目で確かめて来てください。楽しいですよ〜♪



真田邸
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宝物館の裏、というか隣りなんですが…来年まで工事中だそうですorz
一応庭には入れるんですが、そこかしこに工事中の資材が散乱していて庭園も風情もあったもんじゃないので、来年以降リベンジ必須。残念。

そういやこの門の造り、なんて言うんだっけ?
岐阜城でも確かこれと同じ造りの門を見た気がする〜流行だったのかな?

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宝物館から真田邸、文武学校へ至る町並み。
武家屋敷街のように整備されていて、オマケにあちこちに六文銭があしらってあって目に楽し♪
のんびり散歩もいいかも。



文武学校
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いわゆる藩校ですね。あ、またこの門の形だ。

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左:御役所。右:剣術所。

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左:文学所。右:文学所の隅に転がってた六文銭瓦(笑)。

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御役所の一番奥の間にあった10万石当主の座。恐れ多くて座れません(笑)

ここは幕末期の現存建物です。敷地内には、門の隣りの番所から始まって、文学所&御役所(同じ建物内)、東序教室、西序教室、剣術所、柔術所、弓術所、槍術所、文庫蔵があって、8〜14歳ぐらいまでは勉強中心、15〜35歳ぐらいまでが武芸中心で学んでいたそうです。
剣術、柔術、槍術の建物は微妙に天井の高さだとか部屋の広さだとかが違っていて、ちゃんとそれに合わせた部屋なんだなと。
靴さえ脱げばどこでも入って見学できるので、文学所の広間では村塾や私塾思い出してちょっとテンション上がる(笑)思わず生徒のように正座で座っちゃっいましたよ(笑)

海津城及びこの3箇所近辺は、ぐるっと回るだけで江戸初期から幕末期までの時代の伊吹を感じられる場所だと思いました。長野まで行った折は、ぜひ立ち寄ってみてください。

撮影:08.05.06

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一瞬長野市編とでも銘打とうかと思ったけど、量が多いのでやめました(苦笑)
松代城は、信幸が上田城の後に移封されたお城です。その頃はまだ海津城と呼ばれていたはず。信幸の息子の代で改名したんだったかな?あれ?その前に1回松城って名前になったんだっけ?あーその辺あやふやでスミマセン。
武田軍ファンの方には海津城の方が馴染み深いかもしれませんね。あの川中島の合戦での中心的お城ですから。本当に目前に千曲川が広がる立地で少し驚きました。
ちなみに、石垣を残して他はすべて壊されてしまったので、建物はすべて復元です。

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太鼓門と前橋。

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左:太鼓門前の丸馬出の土塁跡。右:太鼓門正面。
丸馬出は、復元されたであろうこの土塁以外は線路と住宅地に変わってました。
縄張図見てちょっとワクテカしてたので残念。見てみたかったな。

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東側の内堀と二ノ丸跡。
二ノ丸をぐるっと囲んでいる土塁が見事です。正面の土塁の向こう側に千曲川が流れています。

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左:北不明門(城内側)。右:北不明門(二ノ丸側)。
枡形虎口になってるのでふたつでひとつの北不明門。

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上から見るとこんな感じ。復元っぷりが見事です。

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左:本丸海津城址碑。右:戌亥櫓跡。実質の天守閣だったらしい。
江戸時代に切り替わってからは天守閣は造っちゃダメ〜というお達しが出ていたので、各藩共に「これは櫓です」とか「これは寺院です」とかむちゃくちゃな理由つけて誤魔化してたそうな。いや、それバレるだろ。まぁ見てみぬフリしててくれたんでしょうけどね(苦笑)

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戌亥櫓の横から西側にずーっと続く土塁。綺麗に残ってるもんですね。
ちなみに住宅地の後ろに見えるのがあの有名な妻女山。

時間があったら千曲川沿いに残る百間堀の跡や二ノ丸石場門跡にも足を伸ばしてみたかったのですが、それはまた次の楽しみにって事で。その時には妻女山にも是非行ってみたいです。



海津城といえば、初代城主は高坂弾正公ですな。
って事で恒例のご挨拶に伺いに明徳寺まで行って来ました。海津城からは車で10分ほどです。

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高坂さんは26歳で侍大将になり海津城主になった方で、武田信玄・勝頼の親子2代に仕えた、とは今更説明しなくてもほとんどの方は知ってるか(笑)
あの第4回川中島の合戦の後、敵味方の区別無く戦死者を丁重に葬り、それに感銘を受けた謙信がのちに塩不足に困窮した武田に塩を送ったとされています。所謂「敵に塩を送る」の元になったものですね。
そんな良い話も残ってるかと思えば、彼に宛てられたちょっと問題ありのラブレターなんかも残っちゃってる、なんとも不思議な武将です(笑)
興味は尽きませんが…いま武田軍にまで手を伸ばしたら自分の首絞めそうなので保留〜(苦笑)


参考サイト:長野市松代文化施設案内 ・ 長野市風林火山特設サイト
撮影:08.05.06

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